ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

「ちょうどいい」探しの旅

駅前で待っていると、ぷっぷーとクラクションが鳴った。その方向を見ると、笑顔で手を振る友達の姿が見える。すぐに駆け寄り、ドアを開いて車に乗り込む。


「うわぁああ、すだちだー!本物だー!久しぶりーー!」と声が上がる。
「全然変わってないじゃん、服装が、ほんとに中学の時から雰囲気全然変わってない!すごい!懐かしい!」と言われる。
「あはは〜わたしは変わってないよ〜」と笑いながら話す。


中学時代の同級生との久しぶりの再会だった。ちょくちょく数人で集まっているようで、何度か声をかけられていたけれど、いつも予定が合わず断っていた。ようやくタイミングが合い、久しぶりに会うことに。粘り強く誘い続けてくれてありがたい限りだなと思う。


コンビニでお酒を買って、友達の家へ行く。とは言っても地元なので、土地勘もバッチリ、すぐ隣もまた別の友達の家だったりする。
秘密基地のような空間に案内され、感動する。


前日に声がかかって、集まれる人で集まろうぜ、という雑多な集まりだったのだけどすぐに馴染むことができた。昔の同級生に会っても、元通り話せるようになるまで1秒とかからない。


中学の最後のクラスでの交流は卒業して10年近く経ってもゆるく続いていて、いまでも居心地がいいから、わたしにとって「ちょうどいい」場所だったのだと思う。


対して、高校の最後のクラスは「ちょうどいい」場所だったかと言われると即答は難しい。仲のいい友達は何人かいるけれど、クラス全体で仲が良かったか、今でも集まりがあるか、行きたいか、と言われるとなかなか難しい。
仲の良い数人で、「ちょうどいい」空間が完成されていて、そこまででいいかなとなる。


「ちょうどいい」場所を見つけることは難しい。それこそ運や、周りの人たちとの相性が大きく関わってくると思う。
場所も然りである。


例えば新宿。人でごった返していて、極力近づきたくない。南口を1分歩くだけでくたくたに疲れてしまうし、歌舞伎町までの道のりはものすごく遠く感じる。ルミネに入るとカラフルで暴力的な数の情報が目に入って来て、脳内で処理しきれなくなる。


対して、電車で少し郊外に出て、駅前に出ると「ちょうどいいな」と感じる街がある。
ほどよく人がいて、でも混んでなくて、スーパーや薬局や居酒屋などが、「ちょうどよく」点在している。
わたしは直感的に「ちょうどいいな」と思えた街に住みたいし、そんな街を探したい。
今住んでいる街も「ちょうどいい」と本能的に感じていて、もしかしたら離れるのが惜しくなっているのかもしれないな、と思ったりもする。


人生は「ちょうどいい」を探す旅なのかもしれない。簡単には見つからないけれどわたしにとっての「ちょうどいい」をもっともっと探していきたい。

城に登る

電車でぼーっとしていると、犬山城の写真が目に入ってきた。そういえば、ちょうどこの季節、数年前に行ったことを思い出す。
御朱印帳デビューしたのも犬山城だった。


全国各地を回って、いろんなお城にも随分と行ったけれど、どのお城に行っても、お城の上まで登るのは大変だ。坂道や、階段や、時には梯子のような急な場所を攻略しながら、少しずつ上へと登っていく。


天守閣から街を見下ろした時の達成感はなんとも言えないし、古い建物がそのまま残っているお城の、しっかりがっちりした木の感触もたまらない。

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***


たくさんの人に守られて生きていると思う。
今日も仕事中に「あぁ、守ってくれたんだなあ」と思う出来事があって、ありがたいな、いつか倍にして返せたらいいな、なんて思う。


体力のない、体調の安定しない自分が不甲斐ないけれど、この時期は生きてるだけでもえらい、と自分に言い聞かせてなんとか踏ん張っていきたい。
何度も書いてるけど、後輩や部下ができた時に守ってあげられるだけの強さや優しさを身に付けたい。


平日の仕事帰りに、スーツのままでデートがしたい。「今日の夜は奥さんとデートなんだ」とはにかみながら帰る先輩の後ろ姿が最高だ。


給料が入ったら、絵本を買ってラッピングしてもらって、子供にプレゼントする生活がしたい。もちろん毎日読み聞かせしたい。色んな絵本を一緒に読みたい。子供が大きくなったら、本屋に行ってたくさん本を選びたい。お気に入りの一冊に出会ってほしい。


ちょっぴりおしゃれをして、休日お出かけしたい。今は荷物が増えるから、会うときは最低限のものしか持って行けない。家からデートに行けたら、もうちょっと色々できるんだろうに、と思った回数は数えたってキリがない。


色んなことを考えるけど、昨日と今日では考えることが違っていて、価値観だってどんどん変わっていく。
わたしは今の気持ちを大切にしたいし、すぐに叶わないことだって、いつかそれに近いことが実現したらいいな、と思う。誰かにとって当たり前のことでも、他の人にとっては当たり前じゃないことなんてたくさんあるから。


いつか小さな自分のお城が建てられたらいいな。そんな日を夢見て、明日も生きていく。

 

 

しずかな部屋で

帰宅。お風呂にいつもよりちょっとだけ長い時間浸かる。お風呂を上がると0時を過ぎていた。

ずっとウイスキーだと思っていた酒瓶を見たら麦焼酎だった。ウイスキーソーダ割が急きょ麦焼酎ソーダ割に変更。台所でさくっとソーダ割を作り、ドライヤーで髪の毛を乾かす。ヘアオイルを付けて、ハトムギ化粧水をボトルに入れ替える。乾燥した腕と足にたくさん吹きかけ、ソーダ割と一口飲んだ。思った以上に甘い。

ほっと落ち着いて部屋に飾ってある写真を眺める。わたしの思い出のほんのわずかな一部分が切り取られた写真たち。ここ数年で撮り溜めた写真たちは、もっと何百枚も何千枚もあるけれど、印刷して部屋に飾ってあるのはほんの少し。グーグルフォトにたくさん入っているけれど、滅多に見返すことはない。既に枚数が膨大すぎて、全てを見返すことはできないだろう。

わたしは少しずつ、スマホやパソコンの中にデータとして眠っている写真を印刷して手元に残していきたいと思っている。楽しかったときの写真は、私に力をくれるのだ。疲れた時、ちょっと落ち込んだ時、寂しいなと思った時、あの子元気にしてるかな、なんて空想にふけったりもする。まだほんのわずかしか手元にはないけれど、一枚数十円で少しずつ幸せが増えるなら、安い買い物だ。

 

先日バーで飲んだジントニックが忘れられない。とっても美味しいジントニックだった。次はひとりで、と思って行く機会を伺っているけれど、いつになるだろうか。いや、行こうと思えばいつだって行ける距離なんだけど、ちょっととっておきのためにとっておきたい気持ちもある。次のお給料が入ったら行こうかな、なんて思ったりしている。

0時半を過ぎた。そろそろ寝よう。最近休日が充実していて嬉しい。遊びまわれるだけの体力が付いたということも、それを物語っている。映画も見に行きたいな。土日は混みそうだけど。

ソーダ割の入ったコップが空になった。そろそろ寝よう、おやすみなさい。

息をするように

わたしは不器用である。ほんとうに、いろんな場面で「不器用だなぁ」と思う瞬間がある。周りの人はどう思っているのか知らないが、とにかく「不器用」だと思う。

「もうちょっと上手にできたのに」とか「あの時Aって答えるんじゃなくてちょっとひねってBって答えておけばよかった」とか、会話してる最中でも「今絶対かみ合ってないよな~相手が求めてる回答、これじゃないんだよな」とか思ったりする。最近は不器用な自分をまるごと受け入れて「それがわたし」と思うようになったからずいぶん楽だけど。山下に「もうしょうがないな~」と笑いながら肯定してもらえていることも、大きなことだと思っている。

 

季節の変わり目、そのうえ気圧の乱降下が続いていてすこぶる体調が良くない、メンタルどっかーんいって、去年と同じレベルで落ち込むことはなくなったけど、それでも身体がうまく動かなかったり、頭痛や腰痛や、云々の身体の不調が出てくる。仕事でひとつ大きな山場を越えて、スイッチオフモードに突入してしまったのもあるかもしれない。

漠然とした未来への不安とか、将来のこととか、目の前のこととか、たくさん考えるけれど、器用な友達というのはたくさんいて、「あの子上手にやってるなぁ」「わたしも同じ立場だったらその選択肢取るんだよなぁ(実際には別の選択肢を選んでる)」その子たちは、本当に、上手に生きていると思う。ある意味で切り替えや諦めといった取捨選択が早かったりもするのだけど、本人がそれでいいなら、それが一番だと思うし。

 

部屋の間取りを見たり、今の生活スタイルを変えた後の試算をしたり、そろそろ新しいステップへ踏み出してもいいような気もしているけれど、なんとなくそれを先送りにするような予感もしている。

わたしが思い描く「理想の生活」像というのが、だいぶ昔からあって、それは現在進行形で更新されている。次々に更新されていく「理想の生活」は、少しずつであれば手に入れることができるだろう、でも、やっぱりひとりじゃどうしようもない部分が多くを占めていて、そこに行きつくと「どうしようもないなぁ」とぼんやり考えることしかできない現状である。

今の生活もそれなりに楽しいけど、そろそろ色んな意味でステップアップしてもいいんじゃないかと、ぼんやりと思うわけで、でもそれがどういった形での「ステップアップ」なのかははっきりとは分からなくて、なんだかなぁ、と。

 

この間仕事が久しぶりに定時で上がれて、ご飯食べて、お風呂入って、平日なのにも関わらず3時間近く山下とゆっくり電話ができたんだけど、その電話がものすごく楽しくて、最近ゆっくり電話する暇もなかったな、毎日話せたらそれだけでも嬉しいな、でももし一緒に住めたら毎日顔を合わせながら会話ができるんだな、と改めて思って、こう、なんていうか、だからといって遠距離の現実に対して悪い感情が湧いてくるわけではないんだけど、それでも、距離が近いに越したことはないなぁと思ったりもして。だれかどこでもドア開発してくれないかな、瞬間移動したいな、ってことを考えずにはいられなくて。

考えすぎると頭パンクするし、考えたってどうにもならないから途中で考えるのやめるんだけどね(強制シャットダウン)、人生難しいね~

桜が咲いたら缶ビール飲みながら一緒に夜桜散歩したいけど、今年の開花予想的に厳しそうかなって思ってて、去年も同じことを思ったような気がして、まぁしょうがないよな、いつか当たり前のように毎年できるようになったらいいな、なんてね。

 

息をするように当たり前のことって、当たり前じゃなくて、人間はないものねだりだからどうしようもないけれど、自分の世界がちょっぴりいい方向に向かうといいなって思います。何が言いたいのか分からなくなったのでおわりです。おわり。

 

はじめてのバー

「今日の夜飲める?」
「行ける」
「天才」


金曜日の午後、簡単なやりとりが行われる。目安の時間を伝え合い、先に着いた方は各々の方法で時間を潰す。このご時世、時間の潰し方なんていくらでもある。

午後8時過ぎ、駅前のドトールに入っていたわたしの元へ友達がやって来る。


「お疲れ〜」
「今日はなんの気分?」
「あのラーメン食べに行きたい、そのあと飲もう」
「はいよ〜」


前から気になっていたというラーメン屋へ足を運び、淡々とラーメンを食べる。
シンプルな醤油ラーメンが、冷え切った身体に染み渡る。無言で食べること10分。
お互い食べ終わったことを確認し、店を出る。


「さて、今日は何が飲みたい気分?」
「ビールとかワインをゆっくりやりたい」
「そしたらお腹は既に満たされてるし、前から気になってるバーに行ってみようか、隣駅だけどいい?」
「もちろん」


駅を移動するごとに、自宅が近づいて行くのも利点。どんなに遅くなっても、30分後には帰宅できる距離だ。

道中「あの店今度行こうよ、家族で行って良かった」「日本酒と魚はあの店が良いという噂」などといったことを話す。


バーの扉を開く。わたしも友達もバーの経験値は乏しい、というかほぼ0だ。
扉の向こうにいたバーテンダーさんは若造ふたりを優しく迎え入れてくれた。


ずっと入ってみたくて、お店の前まで来て幾度となく引き返して来た経験、どこかの記事で「ひとりでいきなりお店に行くのは外れたときのリスクが大きいから、まずは数人で行ってみて、ひとりでも行けそうだったらその後に行くのが吉」と書いてあったのを思い出し、よし、友達を連れて来て若造だけでも受け入れてもらえるか偵察をしよう、と心に決めたのだった。

 

一番奥のカウンター席に通される。
なんだろう、薄暗い照明と、重厚なカウンター、背が高くて背もたれがあまりないけど長時間座っていても全然疲れない椅子、全てが素敵な空間だった。


バーテンダーさんに「マスカット系で、さっぱりしてる柑橘系のやつが飲みたいです」と伝える。
友達はメニュー表から語感だけでお酒を選んでいた。
カタカナパラダイスである、カタカナを覚えるのは難しい。世界史の暗記は一番苦手な分野だった。


レーズンバターの正体がなんなのかよく分からないまま、レーズンバターを頼んだ。
カクテルグラスの中に細かく砕いた氷、そしてその上にレーズンバターがきれいにカットされ、パセリと共に盛り付けられて出てきた。
想像通りのレーズンバター、ものすごく美味しかった。5年前に食べても別に美味しく感じなかっただろう、味覚の変化を感じる。


今まで見たことのないカクテルの名前がたくさんメニュー表に並んでいた。
まるで外国に来たような気持ちで、ラムとかジンとかテキーラとかは分かるけど、それ以上の情報をメニュー表から汲み取ることはできない。
バーテンダーさんにオススメを聞きながら、何杯か注文した。


家で飲むお酒と、外で飲むお酒は美味しさが全然違う。
誰と飲むか、どんな店で飲むか、何をアテに飲むか、いろんなシュチュエーションが無限に組み合わせられるけど、仲の良い友達とバーで飲むのはとても素敵なことだと思った。
そして、多分ひとりで来ても楽しめるんだろうな、と思った。


家でお酒が飲みたくなって、缶ビールを開けたりするけれど、なにか違うんだよなって思う。そんなに楽しくない。
「家」という空間で、ひとりで飲むのはなんか違う。また住む部屋や、環境要因が変わったら「自宅でのひとり飲み」も至高になるのかもしれないが、今の環境では「なんか違う」ということになる。
ひとりでラーメン屋や回転寿司で一杯だけ飲むビールの方がずっと美味しく感じるのだ。
それ以上に気の合う友達と美味しいご飯とお酒を楽しんでる時が一番楽しいし、幸せに感じることができる。


それは「家と外」という環境要因の違いが生み出していたり「お店の雰囲気」に左右されることも多くあると感じている。
お金も、学生の時よりはかけられるようになった。美味しいご飯とお酒に同じくらいお金が出せる友達もいる。価値観が似ている相棒がいるのは幸せなことだ。


「こうやってさ、今は独身で自由だからいつだってすぐ飲めるけどさ、みんな少しずつ結婚していったらこういう突発的な遊びもできなくなるんだよね、誘うことだってできなくなるよね、さみしいね」
なんてことを語り合った。


金曜の午後や仕事終わりに突然連絡をして飲みにいったり、終電ギリギリまで粘ったり、ノリでドライブに出かけたり、美味しいお酒に出会って「くぅう〜〜」と唸りながらお酒を飲んでゲラゲラ笑いながら昔話をしたり、
そういったことが、少しずつ遠くなっていくのかなと思うと切ない。


一番自由で、開放的で、お金も自分のためだけに使える、すぐに誘える友達が何人もいる、そんな「今」を大切にしていきたいと思った、金曜日の夜。

 

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