ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

いやよ~

ウォークマンの充電ケーブルを無くして、テンションが下がっている。

候補地は全て探したんだけどな、きっと意味わかんないタイミングでひょっこり出てくるんだろうと思う。端子系、全て同じ規格にしてくれればいいのに。ウォークマンは今までない形だから、新しい端子が一つ増えることになってしまった。しょうがないけど、いい感じに変換できるアダプタとかあれば購入したい。

 

風邪っぽい。のどが痛くて、このまま放置すると熱出すやつだなと思いつつ、でもそこまで悪化せずに耐えてくれているので、このままどうか。

すっかり毒気を抜かれたというか、頭がスポンジになったというか、なんだか力が連日入らない。ずっと送らなければならないと思っていたメールは一件送れたのだけど(それだけでも褒めたたえてあげたいものだ)、やっぱりタスクは溜まっていて、そんなに大した量じゃないはずなのに、うがーとなっている。

 

すっかり自分が迷子だ。文章も書けない。全然、書けない。

書きたいと思った気持ちとか、感情とか、心の動きとか、そういったことはたくさんあるのに、頭の中では考えているのだけど、筆が進まない。

書かなくてもいいんだけどさ、別に誰に怒られることでもないのだけれど。

 

脳が活動を停止すると、ずっとYouTubeを見るか、寝るか、の2択しかできることがなくて、今日も一日そうやって時が流れていって、でも外の世界では活躍している人がたくさんいるわけで、そんなギャップが、しんどくなる。

割り切ってしまえばいいのに、いろんなことに罪悪感を感じてしまって、そのせいで一向に良くならない。

 

先日一瞬「わけわからん人たちに人生ぶっ壊されて、このままの状況がうじうじ続いて時間浪費してるの悔しいから、とっとと病気を治して、自分のやりたいことで生きていこう」と思ったのに、そのガッツはどこかへ行ってしまった。

帰ってきておくれよ~

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ゆうひ

 

緑のカーテンがさわぐ

何を書こうと考えているわけでもないのだが、なんとなくパソコンを起動し、なんとなくいつもの癖ではてなブログを立ち上げ、そのままブログを書くボタンを押した。だからわたしは、今ブログを書いている。それ以上でも、それ以下でもない。

 

今日は、予定を間違えた。今日あるはずだった予定が、実は明日の予定で、朝起きた時に念のため場所や日程を確認したら、今日じゃなくて明日だったのだ。数日前からモチベーションを高めていたから、なんだか、拍子抜けしてしまった。

すっかりやる気をなくしたわたしは、布団から一歩も出ないまま、恋人へ電話をした。電話には出ない。数分経って折り返しがあった。そこから2時間ほど他愛のない話をし、気づいたらお昼。LINE通話は偉大だ。普通の電話では2時間も会話はできない。通話料金が怖すぎる。インターネットの料金さえ払っていれば、何時間通話をしても、料金は変わらない。LINE無しには生きていけない身体になってしまったとさえ、思う。もしLINEが使えなくなったとしても、別の手段を考えるだけなのだけど。

 

作り置きのカレーを温め、福神漬けをたっぷり添えて完食し、日課ピクロスを立ち上げる。ここ2か月ほどで、とりあえず、机に座ったらピクロスを立ち上げる身体になってしまった。パズルゲームを数回やり、部屋の片づけへ取り掛かる。

散乱しているカバン類たちを、一度廊下へ出し、書類をまとめ、掃除機をかける。窓を開けたら、寒い風が入ってきた。足が冷えたけど、そこは我慢。掃除機がホコリを吸い込み、抜け毛を吸い込み、部屋がずいぶんきれいになった。床がつるつるであることは気持ちがいい。本棚を少し整理し、机の周辺も片づけ、かなりすっきりとした。

その後、予約しなければならなかった諸般の手続きの一端を済ませた。えらい。選択肢が多いと、いつも困ってしまう。検討には労力が必要だ。時には諦めも肝心。

無印良品で買ったバームクーヘンをおやつに食べ、読書。バームクーヘンが美味しい。

ただの休日、なにもない、ただの休日だなと思う。一眼レフ片手に散歩でも行けばよかったのだろうが、なんとなく外に出る気分じゃなかった。せっかくの快晴なのにね。

 

気付いたら眠っていて、起きたら夜の10時を過ぎていた。自分でもびっくりする。なんたる自堕落な生活。昨日の夜は寝つきが悪かったから、まぁしょうがないかと思ったりして、そんなこんなで一日が終わる。

ここ数日、不思議な浮遊感のようなものが、心に住み着いている。なんだろう。なんとなくだけど、その原因は分かっていて、でもその悪くない浮遊感は、きっともうすぐ満たされて終わるのだなと思う。

これからお風呂に入って、寝よう。おやすみなさい。

事務処理能力の低下

事務処理能力が落ちている。絶望的に、本当に、びっくりするくらい何もできない。

パスポートの更新、マイナンバーカード、諸般の資料集め、卒業証明書の取り寄せ、健康診断、諸々の予約、など、やらなければならない事務処理がたくさんたまっている。

昨年から今年へ繰り越したものがほとんどだ。明日やろう、来週やろう、調子のいいときにやろう、とどんどん先延ばしにし、現実から目を背けている。なんていうか、一つの処理を行うまでの時間と労力がすごくかかるようになった。こんなに自分って事務処理ができなかったっけ、メールの文章を考えるのなんて簡単なはずなのに、どうしてこんなに時間とエネルギーが失われるんだろう、そもそもPCを起動することさえ、つらい。

調子のいいときは、なんてことない作業だし、もちろん、きっと本気を出せばできる作業だということは分かっているけれど、どんどん先送りにする。手帳に書いたリストが全然消せなくて、そんな自分に嫌気がさす。

ブログは更新できるのにね、なんで自分のことは出来ないんだろう。

自立支援制度を申し込んだ時も、正直周りの支えがなかったら役所までたどり着くことさえままならなかったと思う。元気なときであれば、絶対に自分でできたはずなのに。

書類を提出することが、電話一本かけることが、メールを一通送ることが、ラインの返事を返すことが、こんなにも大変だなんて。焦るし失望する。

「今はしょうがない」と言ってくれるけれど、いつまでもぼやぼやしていていいのだろうか、そんなことは許されない、なんて考えてしまう。

英語の勉強をしている時だって、昔と比べて集中力が続かなくなっているし、体力だって落ちている。あぁ、悲しいな。

 

海をただ眺めたい。澄んだ空気に触れたい。

煩わしいことは全部、放り投げたい。

それは自己開示的なsomething

お正月休みに、普段あまり会えない友人たちに会った。近況報告だったり他愛のない話をしたのだけど、自分自身に変化が訪れている気がするので書き残す。

 

自分の話をするようになった。自己開示の範囲が、昔より圧倒的に広くなったと思う。親しい友人、信頼してる友人は何人かいるけれど、自分の重い話、ぶっちゃけた話はなかなかできない過去があった。それは、私の幼いころの出来事などが複雑に絡み合っているからなのだろうけど、とにかく本音が話せなくて(もちろん話すことだってあったけれど)、ずっと人の話を聞き続けて終わったり、当たり障りのないこと、くだらないことを話し続けるだけのこともあった。深いことを話したときに、相手がどのような気持ちになるかを考えすぎて、言えないことが多くあったようにも思うし、どうせ自分の話を聞いたところで相手が楽しいはずがない、と思うこともあった。とにかく、なかなか本音を話さないから「何を考えているか分からない」と言われたこともあった。

どこかのタイミングで、何かが、変わった。

それはブログを書いているからかもしれないし、カウンセリングに行って自分の状況がようやく整理できたからかもしれない。自分も周りも、大人になったからかもしれない。

はっきりとした理由やきっかけなんてないし、そういうものだと思っているけれど、とにかく自分の話ができるようになった。ちょっと重い話も、暗く深刻にならないように話すなどの工夫はするけれど、さらっとでも言うことで確実に自分の中に重くのしかかっている塊のようなものが、軽くなっていっている気がする。

 

相手と他人の境界線、血の繋がっている兄弟でさえ、相性や性格の違いがあるというのに、他人のことを完璧に理解するのは不可能だし、コントロールすることだって不可能だ。人間は多種多様で、考え方がたくさんあって、育ってきた環境がたくさんあって、一つの出来事に対する言動や感情がまるで違っていることが、ものすごく興味深いことだと思う。

なんとなく「他者と同じでなければならない」「外れものになってはいけない」といった、固定観念が昔からあったように思う。それが最近になってようやく「人間みんな違うんだ」ということが、言葉としてだけでなく、自分の心と脳みその中にしっかりと落とし込めてきたように感じる。

人間が興味深いし、友人たちの話を聞いて「この人はこんな風に考えるのか、面白いな」と思う頻度が、最近格段に上がった。多分、わたしは根本的に人間という生き物が好きだし、興味深いし、もっともっと知りたいと思う。

考えすぎも良くないと思っているけれど、どうしても色々考えこんでしまうのは、わたしの性質だし、考えることは好きだから、あまり否定的になりすぎずにやっていきたい。

2020年を考える

2020年になった。今年のはじまりは、1日引き篭もって終わったのだが、普段と何も変わらなくて、相変わらず気力の低い状態の自分に、一周回って呆れ切ったりしている。
 
今日は親戚付き合いから逃げるようにカフェへ行き、ずっと文章と向き合っている。親戚付き合い、元気な時はなんともないが、今年は、とてもじゃないが顔を出す気分じゃない。愛想笑いと「今何しているの」といった質問の応酬、胸を張って応えられることがあればいいけれど、生憎社会に適応していない自分は、なんて応えたらいいのか分からず、固まり苦しむ未来が見えたので、止めることにした。親戚付き合いもまともにできないなんて、社会人失格だと思うけど、まだ気を使わなければならない集まりに積極的に行けるほど元気になっているわけではない。
 
未来を考える。今年はどんな年になるかと考えた時に、一番最初に思い浮かぶのはオリンピックだ。
東京オリンピックが決まった2013年のあの瞬間は鮮明に覚えているし、近しい人がそっち方面で活躍していることもあり、2020年=東京オリンピックという刷り込みがずいぶん昔からできている。色々問題はあるけれど、無事に終了してくれたらいいなという気持ちでいっぱいだ。わたしは、少し離れた場所から、オリンピックを見守りたいと思う。
 
結局のところ、自分の進む未来が完璧に不透明なことが、さらに不安を増長していると考える。「余計なことまで想定して不安になってしまう」というわたしの性格は、少し改善しようと意識しても、簡単にはできなくて、「オリンピックが終わったら景気が悪くなるから、就職が難しくなるかもしれない、わたしはそのころ生きていられるのかしら」なんといった、根拠も恐れる理由もどうしようもない、恐れたところでどうにもならないことで不安がっている日々が変わることはない。
 
人生なるようになるさ、と気楽に構えられたらいいものの、なかなかそれも難しい。どうせ行き当たりばったりになるのだから、それを受け入れて、なるように生きていけばいいのにね。そのギャップに毎回苦しむ。hspの特性でもあるんだろうなと思ったりする。
 
毎日〇〇をする、という目標は1日できなかっただけで、やる気が半減、むしろゼロ近くになってしまうことが度々あるので、今年は「毎日〇〇する」という目標は作らないことにする。
手帳や日記は数日に一度、気が向いた時にすればいいし、家計簿だって、ざっくりつけられればいい、レシートを貯めてあとでまとめて打ち込めばいい、それくらいの気持ちでいたい。
 
ブログで昨年365日分の日記を書き続けている方がいて、素直にすごいなと思った。そしてこれを読み返すのが、すごく楽しいことなんだろうなと想像する。
感情を書きなぐる自分用の日記と、公開されるブログに書く内容は少し(だいぶ)違って来るわけだけど、両者の視点で記録として日記を付けられたら、素敵だなと思う。わたしが実現できるかは謎だけど、気が向いた日にはブログにも日記を書こうかな。(毎日更新、なんて決まりは作らない)
 
今年は、会いたい人にもっと会ってみたいと思う。生活環境が変わる予感もしているし、そうなったらまたいちから全てを積み上げていく作業が付随される。
お気に入りのお店を増やしたいし、でも節約もちゃんとしたいし、メリハリをつけながら生きていけたらなと思う。
 
そして、『全てを「6割」の力で取り組む』こと。
0か100か、みたいな力の入れ方しかできないわたしはそろそろ卒業したい。わたしのことを割と理解してくれている(と思っている)先輩と話をした時に、
「わたし、物事に取り組む時って、0か100か、みたいになるんですよね、ひとつやる!って決めたらそこに全力投球しちゃって、周りが見えなくなるし、途中でスイッチが切れると何もできなくなるんです」
「わかる〜オレもそのタイプだもん、うまく力を抜いてやっていけたらいいと常々思うけど、それって難しいよね、器用な人たち羨ましいよね」
なんていう会話があった。
実にその通りで、先輩も0か100か、みたいな感じで生きているように思えるし、でも物事に集中している時のパフォーマンスの高さを間近で見てきて知っているからこそ、そんな先輩を尊敬していたりもする。
 
結局無い物ねだりなのかもしれない、というか、そうなのだろうけど、やはり「力を抜く」ことは必要だと思うから、その方法を身につけられたらと思う。
 
外の空気を吸って、陽の光をできるだけ浴びて、2020年は生きていけたらといいと思う。
自己探索の旅はまだまだ続く。
 
 

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