ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

エモかった3連休の話

タイトルに「エモかった」なんて言葉、本当は使いたくないんだけど、私の語彙力の中から適する用語が抽出されなかったため、この言葉で許してほしい。普段は「エモいエモい」なんて連呼する人種ではないのだ。多少酔っぱらっているということもある。3連休最終日、本来は自宅でゆっくり夜ご飯を食べて寝る予定だったのに、気が付いたら友人と赤ワインのボトルを1本空けることになった。

 

タイトルから想像できるに、これは完璧に自己満足の記事である。このブログを読んで腹が立つ人もいるかもしれない、だからなんだよ、と思う人もいるかもしれない。それでも私にとって、毎日「エモいなぁ」と思わせるイベントがあった。それも意図せず思わせる、当日突然に降ってくるイベントばかりだったから、余計そう思わせるのかもしれない。フィクションかもしれないし、ノンフィクションかもしれません、ご想像にお任せします。

それではいきます。まずは1日目。

 

朝目を覚ます。午前8時半。ずっと行きたいと思っていた場所があって、本当は今日ひとりで行こうと思っていたのだけど、もしかしたら尊敬する滅多に会えない人と一緒に行けるかもしれないことになった。

ジムへ行く準備をする。ずっと気になっていたエアロビのクラスへ参加。全身を動かして、汗をたらふくかいて、ジャグジーへ。汗を流して、いつもより少しだけ時間をかけてメイクをする。

滅多に会えない人から連絡が来て、一緒に行きたかった場所へ行くことへ。趣味が合うから滅多にできないその界隈の話をたらふくして、お酒を飲んだ。共通の友人のグループLINEへ「今から来れる人いる?」と投下する。当日の誘いだったのにありがたいことに6~7人集まって、久しぶりにお酒を飲んだ。

わたしの大好きなコミュニティの仲間で、これからやりたいことや、今までの思い出話、近況報告などたわいのない話なのだけど、それでもすっごく楽しい時間だった。ビールを1杯、日本酒を1合、ハイボールを3杯飲んだ。

 

その後、その飲み会を早めにお暇し、地元へ戻った。地元で待つは、地元の友人たちの飲み会。

はじまりは数ヵ月前の日曜日の夜に来たLINEだった。

すだちちゃん、もしかして○○のスポーツクラブに通ってる?」

送り主は、中学時代の親友。当時は仲がとっても良かったのに、高校に入ってからなんとなく疎遠になっていた。当時の思い出がわっと蘇り、すぐに返信。

「通ってるよ!○○(友人)も通ってるの?」

から会話は始まり、飲みに行く約束をこぎつけた。なにごともちょっとの勇気が大切。

 

1ヵ月前、地元の安い居酒屋で再会。

数年のブランクなど全く気にしない勢いで私たちの会話はスタートした。近況報告、最近の恋愛話、思い出話、今だからこそ時効で話せる話…

2時間じゃもちろん時間は足りなくて、お店を移動し、地元にいそうな友人に酔った勢いで適当に連絡をし、2次会ではもう2人増え、たくさんお酒を飲んだ。飲みすぎて、翌日は二日酔いで旅行に出かけたことを覚えている。

 

その飲み会で「もう少し色んな人に会いたいね」という話になり、連絡しやすい友人に声をかけ、実現した飲み会がそれだった。

実に約10年ぶりの再会。成人式の時にも会ったけど、あまり話せなかった人もいるから、実質ちゃんと約束して集まったのは10年ぶりだった。

再会した瞬間から、10年のブランクなんて一切感じなかった。すごい勢いでお喋りを始め、まぁ止まらない止まらない。

当時と変わったのは、お酒を飲むようになったかそうでないか、色んな経験が増えたか増えてないかの違い。

「お酒で1番やらかしたこと」なんて話題で話をすると面白い。みな1度は何かしら笑える伝説を残している。

別に生産性がある話をしたわけでなくて、どうでもいい、本当にくだらない話ばっかりしていた。そんなくだらない話が愛おしいと感じる。

 

いよいよ閉店時間が迫り、お店を追い出される。皆地元だから帰宅は徒歩である。

駅前のスーパーでアイスを買った。100円以下で売ってる、よくあるアイス。私はパピコ、友達はジャイアントコーンガリガリ君。それぞれ思い思いのアイスを買って、帰路につきながらアイスを食べた。

途中すれ違ったお姉さんに「青春だね~学生かな?」なんて言われるくらい。もうみんな学生じゃなくて、社会人。平日になったらスーツを着て上司に頭を下げながら仕事をしている社会人。

それでもほろ酔いでアイスを食べながら深夜0時に道を歩いている男女グループは青春真っただ中の学生に見えるのかもしれない。

 

みんなでぺちゃくちゃお喋りをしながら帰っている途中、中学の時の合唱コンクールで「今日から明日へ」という歌を歌った記憶がふと思い出された。

2番の歌詞が特に印象的な曲だった。

 

近頃調子はどうですか
人生のんびり行きましょう
これからあなたが主役です
よければ一緒に踊りましょう
遥か昔に出会ったはずさ
今日はなつかしい そうさ同窓会だよね
元気だして笑い飛ばして手を叩いて歌おう
君がいれば心は踊る
今日から明日へと動き始めてる

 

「今日はなつかしい そうさ同窓会だよね」というフレーズが特に好きで、この合唱曲の練習をしながら「数年後に同窓会でみんなに会った時この曲を思い出すのかなぁ」なんて中学生心なりに思った記憶がある。歌いながらちょっぴり泣きそうになったこともある。

元気出して、笑い飛ばして、手を叩いて笑ってるな、みんながいるから心躍るな、なんてほろ酔いの頭なりに思ってしまった。まだまだ私は中二病を引きずっているのかもしれない。

 

数人と別れ、残った数人でそのまま母校まで散歩をした。

10年ぶり近い母校だった。母校の目の前まで来て、ひとしきり「懐かしいな~」と感慨にふけり、思い出話を話した。(広く静かな場所なので静かに話している分には近所迷惑にはならない仕様だ)

人によって覚えていることや印象に残っていることが全然違くて、私は全く覚えていない話をされたりとか、逆にみんなが覚えてない話をしたりとか、今だから言えるぶっちゃけ話だったりとか、傍からしたらどうでもいい、でも本人たちにとっては超楽しい話をひたすらにした。

段々眠くなり、解散した。

 

「いいクラス」ってなんだろうという話になった。

本当の意味で「いいクラス」ってなんなんだろう、当時は「サイコー!」って思ってたとしても、全員が「サイコー!」なんて思ってるはずないわけで、絶対に全員が「このクラス大好き!」なんてことにはならない気がする。知らない30人が寄せ集められてクラスが形成され、それなりにまとまりがあったり行事で盛り上がったりしていたかもしれないけど、それでも全員が「サイコー!」なんて思っていたはずないのだから。

「サイコー!」って誰かが思ってる裏で「サイアク~」って思ってる人がいたことは事実だと思う、そんな風に思いたくないけど、今思い返すとそのように思わずにいられない。

卒業して10年経って、また再会して楽しい話ができるクラスメイトがいるだけでも貴重なことなんだろうけど、私は当時卒業したクラスは好きだったけど、全員がそう思ってるわけではないんだよなぁなんて思うわけで。いじめとかは無かったし、ごく一部のリア充集団だけが盛り上がってるクラスではなかった且つ、まとまりはそこそこよかったように思えるけど、それでも「当時のあのクラスは”いいクラス”でしたか?」と聞かれたら素直に頷ける年ではなくなってしまった。なんなんだろうね、クラスってなんなんだろう。

 

卒業するときは半ば自己満足のように、そしてそう思い込ませることによって思い出を美化するために「いいクラスだったね」なんて会話が良く聞かれた。本当にそうだったのだろうか、一部の人の一部の記憶ではそうなっていたかもしれないけれど、きっといい気持ちよりも苦い気持ちの方が多かった人もいたわけで、それはそれぞれの人間の感受性とか、価値観によって変わってくるものだからしょうがないっちゃしょうがないんだろうけど、そのあたりに関してうーむと思ってしまう自分がいる。

個人的には明確にクラス仲が悪かった年も経験しているから、その時のクラスと比べると卒業した時のクラス仲はよかったんだろうなぁと思うけど、まぁ実に中学や高校の「クラス」って不思議な組織だなと思ったわけです。部活だと共通の目的や趣味を通して集まる仲間だけど、クラスは適当に、それこそ成績順とか、ピアノの伴奏ができる人がいるいないとかで振り分けられた組織だから、難しいよね、全員が全員と人間関係円滑に過ごせるわけじゃないもんね、当時はバカみたいに人間関係で悩んでたけど、今考えると「しょーがないやん」って思ったりもするわけですよ。

 

そんなことを考えた3連休初日のはなし。うそん。もう既に3500文字を越えてしまったのでとりあえずこれで終わり。続きは書くかもしれないし書かないかもしれない。おわり。

同級生が結婚した

昼間の勤務時間と変わって、少しだけ空気が柔らかく、呼吸しやすくなった職場で2時間ほど残業をし、帰りの電車に乗った。

Twitterを軽く見て、読みかけの「コンビニ人間」を開く。残り数十ページ。電車に乗っている間にあっという間に読み終わってしまった。

ホームで乗り換え電車を待つ間に、母親が握ってくれたおにぎりを頬張る。空腹が限界を訴えていた。わたしの大好きな鮭と梅干しと枝豆の母親オリジナルおにぎり。3口で食べ終わるほど小さなおにぎりだけど、愛情を感じるおにぎり、最高に美味しい。

 

ホームに吸い込まれてきた電車に乗り、何の気なしにフェイスブックを開いた。私の友人は全くと言っていいほど更新をしない人種なので、フェイスブックを開いても目新しい情報が入ってくることはない。ほぼ流れ作業として更新した瞬間、目に入ってきた文字と写真。

【結婚しました】の文章と共に写るはおそろいの指輪を薬指にはめたカップルのツーショット。

私の同級生だった。ほとんど関わりはなかったけれど、それでもフェイスブックで友達になるくらいには交流のある同級生だった。

とりあえずびっくりして、10秒くらいフリーズして、何度も何度も文章と写真を確認して「まじかーーーー」と呆然とする脳内と必死に対話した。

 

このところ学生時代の友達と会うと【結婚】が必ずと言っていいほど話題に上がる。昔は単純な恋バナをしていただけだったのに、気づいたら【恋バナ】とセットで【結婚】トーク。まだ私の親しい友人で結婚をしている人はいない。私は今年で齢24。

社会人2年目になり、まぁそろそろ結婚する人が出てきてもおかしくない年齢になったってことは分かっている。もう1年経たない間くらいに第一次結婚ラッシュなるものがやってくることも、知識としては知っている。それでも、概念としてぼんやりとしか分からない。私にとって【結婚】した人としてない人の間にはとてつもなく高い壁を感じる。紙切れ1枚出すだけなのに、それでも、私にとってそれが成す意味は大きい。

今の私はどうしても【結婚】をゴールに考えてしまう。誰が最初に結婚するのか、自分はいつ結婚するのか、大事なことはその後だって分かっているけど、とにかく全てが未知すぎて分からないのだ。2年後とかに、結婚した友人に「結婚前と後で何か変わった?」と質問して「紙きれ1枚出しただけで、昔と何も変わらないよ」と返答が返ってくるところまで予想している、それなのに【結婚】という行為が大層”ものすごい、大変な”ものだと思い込んでいる自分がある。

人の結婚話でこんなに動揺して、複雑な感情を覚えて、こんなに色々考えるのは今しかないんだろうなと思ってブログに書き残すことにした。

 

今回はあまり関わりのない、しかも男の同級生だったからショックはあまり大きくないけど(それでもある程度の衝撃やショックはある)、仲の良い女友達が結婚したら、しかも最初に結婚する子のときは、すごいショック受けるんだろうなと思う。

もちろん喜ばしいことだし、友達が幸せになってくれたら最高に嬉しいから、全力でお祝いするけれど、たぶんいろんな面で複雑な気持ちになること間違いなしだ。

友達はわたしだけのものじゃないって、分かってるのにね、架空の旦那さんに勝手に嫉妬するかもしれないね、まるで別世界に行ってしまうかのような、寂しさを感じることになるんだと思う。別に友達は友達のまま変わらないのに。「コンビニ人間」を読んだ直後だから余計にそれを感じるのかもしれない。

 

難しい、そのあたりの感情の言語化が、本当に難しくて、すごく複雑で、だからこそじっくり考えるのは悪いことじゃないと思う。

いいなぁ、「会いたい」って思った時にすぐに会える距離に自分の好きな人がいることがどんなに幸せな事か。

毎朝起きたら好きな人が隣にいて、「ただいま」って同じ部屋に帰ってきて、同じ屋根の下で一緒に暮らしていけることがどれだけ幸せか。

脳内お花畑かもしれないけれど、好きな人が簡単に会える距離にいない私からすると、その事実だけでものすごく羨ましく感じる。

 

多分今感じてる感情は、「今」しかなくて、数年後これを読み返して「こんなこと考えてたんだ、当時の私は幼いなぁ」なんて思うんだろうね、でも今の私の気持ちはこんな気持ち。だからブログに残しておくよ。

きっとこのブログを読んでくれてる人には、私より年上で、結婚されてる人もいると思うし、私より年下で、結婚なんてまだ考えたことないぜって人もいると思うし、私と同世代で、結婚に関して同じようなことを考えてる人もいるかもしれない。

なんでこんなに色々考えてしまうのか、学校を卒業した私たちの「他人にも」分かりやすい次なるターニングポイントだからなのか、人生の大部分を占めるからなのか、全然分からないけれど、色々考えるところはあるよねって感じです。

 

みんなハッピーになれる世の中になるといいね、好きな人と一緒に過ごせる、本人たちが望む形で幸せになれたらいいなって思います。

ぐちゃぐちゃしてるけどおわり~~~~~~~~~~~!!!解散!!!!!!

この夏の色々なこと

へいへいへーい。どうも、すだちです。

最近なんだか元気がなくて、今日もずっとベットの上で動画を見たり昼寝をしていたら1日が過ぎてしまいました。ジムに行こうとか、本屋に行こう、とか色々考えはするんだけど、どうも行動に移せない。疲れてるんですかね。なんだか鬱蒼とした気分が続いております。

 

原因は?と聞かれても分からないから、何とも答えようがないんだけど、しょうがないよね、そんな時もあるよね、って感じで捉えていきたい。今度の休みに一人カラオケフリータイムで入って歌い明かしてこようと心に決めてます、最近の生きがいはそれくらいかも。明日仕事に行きたくないよ~わ~ん。

 

楽しい話題が欲しいです。関西や北海道や、大変な思いをしてる人たちがたくさんいますよね、私はこういった大きな災害が起きてしまった時、なんて言ったらいいか、どうしたらいいか、分からないんです。

傷ついた人たちがいたら悲しい気持ちになるし、復興作業を頑張っている人の話を聞くと応援したくなるし、でもやっぱり遠い場所だから自分は何もできなくて。東日本大震災くらいしか経験したことのない私は(関東だったから帰宅難民になるとか計画停電とかそれくらいだった)、本当の意味で被害に遭った方たちに寄り添ったりすることはできないわけで。それでも私よりもずっとつらい思いをしている人たちがいるって考えるだけで、つらくなります。(私がつらくなってどうするんだよ、って感じですけど)

 

ささやかな募金くらいしかできない自分に腹が立つ一方、普段通りの生活を営んで、経済を少しでも回すことも大事なんだろうなって思ったりします。

うーん、この辺上手に言語化できない。結局うわべだらけの綺麗ごとしか言えない気がして、自分の思考や、心や、表現力にげんなりしてしまいます。

 

***

 

わたし、普通の人よりは自然災害とかインフラ関係に詳しいんですよ。そんな感じの勉強をずっとしてきていて、今も現在進行形で勉強しているので、たぶん一般の人よりはそう言ったことに関して知識があると思うんです。

今回も色々考えていて、思考がぐっちゃぐちゃになっています。

 

今回の台風では「高潮」が警戒されていて、テレビでも「何時に〇.〇m」まで水位が上がってくるとか、画面上に数字は写されていたことは確認しているんですけど、だからどんな被害が出るだとか、誰が避難しなければならないとか、そういったことを具体的に想像して行動に移せる人ってあんまりいないんじゃないかなと思ったんですよね。

数字だけ〇mって言われても、だからヤバいのかヤバくないのか、注意報や警報が出てるけど本当に今いる場所が危ないのか危なくないのかって、素人が判断するのって難しいじゃないですか。

自治体が出す避難勧告やら避難指示を聞いて、その情報を「適切に」受け取ることができた人が、避難したりするのかなって思うんです。

そうじゃなくて、もっと各個人が「情報を積極的に受け取りに行く姿勢」を持つ必要があると思ったんですね、気象庁自治体が出す避難情報を聞いてから動き出すんじゃなくて、気象情報とか、有識者の見解を調べて、本当にヤバそうなときは早めに行動するとかそういった感じのこと。

 

津波」だとどんな感じになるか想像できるかもしれないけど、「高潮」がどうなるかって、具体的に想像できる人あんまりいないんじゃないかなと思ったりしています。学校の授業とかで習いましたか?高潮に対する危機感ってあんまりないんじゃないかなぁと思ったり。(今回の関空で認識が変わった人は沢山いると思います)

潮位が何メートルを越えたらヤバそうなのか、気圧が何ヘクトパスカルを越えたらヤバそうなのか、風速は何メートルか、時間あたりの降水量は、隣の川の水位は、氾濫危険水位って何、液状化になりやすい地域は、自分の住んでいる場所は安全なのか、、、

考えだしたらキリないけど、そういう知識って持っていて損じゃないと思うんです。というかこういった災害大国に住んでいる以上知っていないといけない知識なんじゃないのって。

恥ずかしながら私もまだ完璧に知っているわけではないので、偉そうなこと言えた立場じゃないんですけど、そういった「防災教育」って大事なんじゃないかなと、この夏思いました。

 

Twitterで私の知っているそのようなインフラ系の知識を呟いたら(個人的なアカウントです)、想像以上に友達の反応が良くて、「すだちのツイート見てハザードマップ見てみたよ」とか「地形について勉強してみる」とか言ってもらえたんです。普通の生活を送っている普通の人に、自分の持っている専門的な知識を分かりやすく還元していくのって、もしかして手間を惜しまない方がいいんじゃないかなと思ったりしています。

私はこれ以上自然災害で人が傷つくのを見たくないんです、インフラの力で守れるなら、守りたいんです。避難すれば命が助かるなら避難してほしいんです、安全な場所にいて欲しいんです。

 

きれいごとだって分かっているけれど、そんなに世の中うまくいかないって分かってるけれど、自分に何ができるのかなって考え続けた数日でした。

考えたことの1割も書けてないし、まとまってないけど、今日はそんな感じ。

早く平穏な日常が訪れますように。

社会人になって一人遊びが得意になった

元々一人で基本的になんでもできる人だったのだけど、社会人になってからそれが顕著になってきた。

この間平日に休みをとって、ひたすら自分のために使う贅沢な一日を過ごした。

 

普段より3時間も寝坊の9時に起きて、普段はなかなか着ないちょっとかわいいワンピースを着て、映画館へ。

公開されるのをずっと楽しみにしていた「マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー!」を自分よりも一回りか二回り先輩のマダムたちに混ざって見る。レディースデーだからなのか、女性率が圧倒的だった。年齢層も、母親世代っぽい人が多くて、席も割と埋まっていて(平日だからガラガラだと思っていた)、軽く驚きながらも映画を楽しんだ。

最近色んな映画を見に行っていて、その中でも自分の傾向としてミュージカル映画が好きだってことに気が付いた。歌って踊って、基本的にハッピーで、見ている自分も幸せになれるような、そんな映画を見て元気をもらった。

もっと自由にどこでも踊れるような、そんなはっちゃけた自分になりたい。

 

その後、普段はいかないお店でゆっくりとランチをして、買い物。ずっと狙っていたTシャツをゲット。

本屋へ行って、気になっていたエッセイや小説を爆買い。全部で6冊。私にしては豪遊だ。平日だからお店も空いていて、ゆっくり本を選ぶことができた。本屋で新しい本を探している時間が幸せ。全部欲しくなるけれど、そこはぐっと我慢して、選ばれた6冊たち。

 

カフェへ行ってゆっくり読書でもよかったのだけど、家に帰宅することに。冷房を効かせた部屋でベットに寝転がりながら、買ってきた本を読む。

途中で眠くなってきたらお昼寝。1~2時間ほど昼寝をして、起きると19時。お風呂に入って、夕食の準備を手伝う。

 

秋刀魚の内臓を取り、塩を振って、秋刀魚の塩焼き。大根おろしと生姜は外せない。

さつまいもを輪切りにしてフライパンで焼く。仕上げにチーズをのせて完成。

お母さんが作ったきんぴらごぼうと、お味噌汁。生協で届いた揚げ出し豆腐。

炊き立ての白米をお茶碗によそって純和食・すだち家の夕食の完成。

 

ゆっくり夕食を食べて、お喋りをしてお茶を飲んで、自室へ上がる。

買ってきた本の続きを読む。結局2冊ぶっ通しで読んでしまった。

本を読んで、最後にYouTubeを見て、12時に就寝。

 

最高の一日を過ごした。友人や恋人と会ったわけではないけれど、自分で自分を満足させる最高の休日。

「ひとりで映画を見てきました~」と言うだけで驚く人もいるけれど、私は全く持ってへっちゃらだ。

 

自分のことを自分で幸せにする手段は、いくつでも持っておくべきで、それは私にとって、映画館であり読書であり一人カラオケでありカフェでぼーっとすることであり美味しいご飯を食べることであり昼寝をすることだ。

自分で自分のために自由に使えるお金が学生時代より格段に増えたのも一つの要因かもしれない。その上彼氏は数百キロ離れた場所にいる。自分で自分のことを幸せにすることは大切だ。

素敵な音楽に出会って、素敵な映画に出会って、素敵な文章に出会って、自分も何かしら素敵な事を表現しながら生きていけたらいいなと思う。

 

自分を大切にしながら、たまには贅沢な自分のための休日を作って、この先も過ごしていきたい。

主役だったあの時 / 有川浩「キケン」を読んで

久しぶりに有川浩の「キケン」を読み返した。

大学生の時にはじめて読んだその本は、工科大学内にあるゴリゴリの理系サークルの日常を切り取った作品だなと感じた。男だらけの所帯で、毎日バカなことをやっている、ド青春な感じの作品。男だらけのサークルも楽しいんだろなぁ、私は入っていけないだろうからちょっと寂しいな、羨ましいな、なんて思いながら読んでいた。

 

社会人になって、もう一度ゆっくり読み直すと、昔読んだ時とは別の視点から楽しむことができた。男だらけの「機械制御研究部」(通称【キケン】)というサークルは、4月に新入生の獲得のため新歓に奔走するところから始まり、女子大との恋愛や、学園祭でラーメンを売りまくるという、「大学生の日常」がたくさん詰まっている。

それらの【キケン】での出来事を、30歳になった主人公が、彼女に向って思い出話として話していく、というストーリーだ。

特に印象深いのは、学園祭でラーメンを売りまくるというお話で、何を隠そう、私も大学生の頃は学園祭に命を捧げていた。私は学園祭の実行委員で、【キケン】のメンバーは模擬店としてラーメンを売る立場。運営側と、参加側として立場は違うけれど、学園祭ならではの雰囲気とか、あの数日間の熱気を思い出すには十分すぎる物語だった。

当日のために苦労して準備を重ね、準備日から「身体1つじゃ足りない!!」ってほどに構内を駆け回り、頭も体力も限界値を突破しながら当日を迎える。ほとんど眠れずに、当日の祭りを運営して、2~3時間の仮眠でしのぎながら、なんとか最終日、後片付け日まで持ちこたえるのだ。

私は実行委員を取り仕切る立場で、責任がとても大きいポジションについていた。自分の考えたシフトで実行委員を回し、突発事態が起きたら、すぐに連絡をもらい、いつなにがあっても対応できるようにとずっと本部で待機し続ける立場だった。当日は目の回るほどの忙しさで、睡眠をとる余裕もなく、部室で寝袋に包まって辛うじて2~3時間取る、という状態だった。あまりの睡眠不足に幻聴も幻覚も経験した。

本当に大変だったのだけど、本当に楽しくて、あの数日間に私の青春は凝縮されていたのだと思う。

 

大学を卒業して、30歳になった主人公が、再び母校の学園祭へ行き、自分のサークルのラーメン屋へ行ったときのシーンが印象的だ。

なあ、気づいてるか、お前ら。お前ら、今は必死で楽しいなんて考える余裕もないだろうけど。店回すのが楽しくて仕方ないってビシビシ伝わってくる。

今は店をやり遂げた達成感や打ち上げの開放感のほうが楽しく思えるだろうけど。

楽しかったのは正にその厨房の中で、シフトが終わるなり植込みに突っ込んで寝るほど極限まで働いてる正にその瞬間なんだ。

それに気が付くのは、自分がもう厨房の店員にも出前の司令塔にもなれなくなってからなんだ。部外者になってからじゃないと分からないんだ。

だからーーー限界までやっとけよ。祭りの主役でいられるうちに。

きっと俺たちもその厨房の中にいた頃が一番楽しそうに見えたんだ。

有川浩「キケン」より抜粋)

 

この文章を読んで、私は雷に打たれた気持ちになった。

そう、私たちも「祭りの主役」だった。決して表に出てパフォーマンスをするわけでもなく、お酒を飲みながらどんちゃん騒ぎをするわけでもなく、どちらかというと嫌われる役目の方が多かったけれど(チャラいだとか飲みサーだとか言われ、学園祭実行委員はイメージから嫌われることが多い、私の所属していた場所は全然そんなことなかったのだけど、凝り固まったイメージというものはしょうがない)、それでも祭りの瞬間は最高に楽しかった。仲間と衝突もしたし、何度もやめたいと思ったし、理不尽なことで沢山怒られたりもしたけれど、それでも、やっぱりあの数日間は「私が主役」だったし、私の仲間はみんな「主役」だった。

もう、祭りで「主役」になることはできない。今はもう顔も分からない何代も下の後輩たちが祭りの「主役」になっている。時折活動報告がTwitterに上がるけれど、もう知っている顔はどこにもなくて、遠い存在になってしまった。

 

同じ時間が戻ってくるわけはないのに、もうあの空間、あの時間は後輩たちのものなのに、それでも羨ましくて、羨ましくて、私もその場所に戻りたいって強く思う瞬間がある。戻れないって分かっているし、だからこそ最高の瞬間だったということは頭では理解しているけれど、またあの空間に戻りたいと思う。

大学を卒業してから、昨年も学園祭に行ったけれど、ただ構内を回るだけじゃ、全然物足りなくて、満足感が得られなくて、部室でみんなに指示を飛ばしたり、構内を駆け回ったり、怒られたり、徹夜で作業したり、ご飯を食べる時間がないほど忙しくしてないと物足りないなって感じた。私たちの祭りは、ひたすらに「労働」で成り立っていたからだ。

あの、気が狂うほど忙しくて限界まで追い込まれた、あの瞬間。絶対に戻ってくることはないけれど、私の心の中に鮮明に生き続けている。これからも、生き続けていて欲しいと強く思った。

 

年を重ねるごとに自分が「主役」になれる場面はどんどん減ってくる。自分が主役になれるのは子供の特権だったのかもしれない。

大人でも主役になれる瞬間はあるのだろうか。舞台に立ったり、スポーツしたり、ダンスしたりしている人たちは大人になっても「主役」でいられるシーンがあるのかなと思ったりもする。

私も何か「自分が主役」になれる別のことを探していきたいと、強く思った今日この頃。

キケン (新潮文庫)

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