ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

相手に求めること、求められること

私は相手に「求める」ということをしてこなかった。できなかった。「求める」ということをしていないことにさえ気づいていなかった。

それは家族に対しても、恋人に対しても、親友に対してもそうだった。

 

相手に「求めなくなった」のはいつからなのか。自分の人生を思い返せば思い返すほど、「求めた」という感情や行為を思い出すことができない。

そこにいる相手がそれなのだから、そんな相手が好きで一緒にいるのだから、そんな相手を好きになったのは私なのだから、という思考が根付いているのだと思う。

基本的になんでも寛容し、許し、終いには「仏」と呼ばれるようになった。

ここで話している「求める」ということは「その人自身を求める」という意味ではなく、「ここを改善してほしい」だとか「(私に)これをしてほしい」とかそのような意味である。

 

例えば恋人に短所があったとする。普通はそこで「改善してほしい」と求めるのだろうが、私は「その短所さえもそれが恋人だから、そんな人を私は好きになったのだから」という思考に陥る。

結果、短所を短所だと感じなくなって、それに対して特別な感情を抱かなくなる。

一緒に住んだり結婚したりすると、そうもいかなくなるのかもしれないが、今のところはそんな風に過ごしてきている。

 

先日「それは嫌だ、もっと(改善点を)求めてほしい」と伝えられた。たくさん話し合って、色んな考え方を教えてもらって、私は元々「相手に求めることをしない」という性格だったことに気が付いた。それさえも、気づいていないくらい、何も考えていなかった。

 

何も考えていない、というと嘘になる。

私の深層心理の中で「こんな私が相手に求める資格なんてない」と思い込んでいたのだ。この事実に気が付くのにも数日を要した。

 

私は自己肯定感が著しく低い。それはそれは低い。物心ついた幼稚園生の時から、自己肯定感は低かった。私の中での一番古い記憶は、幼稚園のロッカーの中に一人でうずくまって、遊んでるみんなの姿を遠めに見ていたことにはじまる。

元気に飛び出して、話しかければ一緒に遊べるんだろうに、それができなかった。

「私なんかに話かけられたら、その人がかわいそうだ」なんて考えていたのかもしれない。

この思考は、正直今でもまだ引きずっている。大人数の飲み会の時「私が隣に来たら嫌だろうなぁ」とか「もっとかわいい子や話が面白い子と話したいんだろうなぁ」なんて考えてしまう。そのまま一歩も動けなくなってしまう。きっとそんなことなんてないんだろうに、自分に対する自信の低さが、自分の足を引っ張っていく。

大学入学直後の飲み会は、地獄でしかなかったし、おごってもらう行為に対しても嫌悪感を感じていたし(「私ごときにお金を使わせるなんて申し訳なさすぎる、そんな価値は私にはない」などと考えていた)、もうとにかく、そういった文化に馴染むことができなかった。壁の華にさえなれない。だって「華」じゃないから。

文章にするとそれはそれはひどいけど、それくらいひん曲がっている自己肯定感。残念ながらかわいくもないので、周りを囲まれて絶え間なく話しかけてもらえる環境があったわけじゃないし、話をするのも苦手だったので、もう、どうしようもなかった。

 

自分に圧倒的自信がない。男女問わず「素敵だなぁ」と思う人は自信にあふれている気がする。自己肯定感も高そうだと感じるシーンが多い。

彼・彼女らは堂々としているし、だからこそ相手に何かを求める権利が発生していると思う。私は相手に求めることは出来ない。求められるほど立派で素敵な人間じゃないから。

 

***

 

…とまぁとにかくどうしようもないくらいひねくれてるんです私は。

外見へのコンプレックスだったり、小さいころにいじめられた経験だったり、色んなものが複雑に絡み合って、文章にしてみると自分でもびっくりするほど自己肯定感の低い人間が出来上がってしまいました。

これじゃいけないと思う、自己肯定感を上げなくちゃいけないし、もっともっと幸せになるための努力をしなくちゃいけない。ギブアンドテイク。

私も貴方に求めるし、貴方も私に求める。そんな世界を生きれるようになりたい。

 

今現在特にひどいのは外見へのコンプレックス。ダイエット。

何度も挑戦して、何度も失敗してきて、何度も悲しい思いをしてきた。それと同時に、本当に真剣に挑んできたことはなかった。だって「どうせ失敗する」と思ってきたから。

あぁ~書けば書くほどポンコツでどうしようもない人間だと思えてきますね、ほんとに。

もし痩せることができたら、外見に対するコンプレックスがあっという間になくなる。そうすると自信が付くと思う。自分も貴方の隣に居ていいんだ、って感じられるようになると思う。それは恋人だったり、友人だったり、職場の人だったり。

外見でどうこう言ってくる人は幸い私の周りには居ないけど、それでも私は勝手に自分を下げて、内心恐縮しながらその人たちの隣にいる自分がいて。

 

そんなわけでさ、そんなわけで、長い目で、自己肯定感を上げて、自分に自信を付けて、自分の大切な人たちと「ギブアンドテイク」できるような、「私も求めるし、相手も私に求める」ような、そんな人間になっていきたい。

「私から求められるよう」になることが先決。そのためには自分に自信を付けて、相手から求められたことに全力で応えられるようになりたい。自分の芯も大切にしながら。時にはぶつかっても良いと思うんだ。

 

そんな感じ、あぁ、上手にまとめられない。思ったことをぐわーっと書いただけの書きなぐり記事になってしまった。恥ずかしくて今度消すかも。

そんな感じです。この夏はダイエット(本気で)頑張ります。

結果が全てだと言われたので、過程じゃなくて、結果を出したい。おわり。

傷は癒える

1週間前、腕を負傷した。金網の先端に引っ掛けて、ざっくり切り傷が5センチほど。

人に会うと「うわぁ、痛そうだね」とかなり同情した感じで言われる程度には痛々しかった。

最初は痛々しかった私の腕も、日が経つごとにだんだん癒えていく。血がにじんでいた1週間前、だんだんかさぶたになっていった5日前、そして今は、かさぶたもだんだん取れて元通りの腕に治ろうとしている。

まだ時間はかかりそうだけど、確実に傷は癒えている。

 

うつ病と診断されて、6か月が経った。人生のどん底と容易く形容できる程度にはどん底だった6か月前。

「そうだ、コンビニに行こう」と思うくらい頻繁にそして気軽に「死にたい」と思っていた。「死にたい」という思考が頭を不法占拠していた6か月前。少し元気になって友人や恋人に会えるようになってからも、ひとりになると「死にたい」という感情が私の頭から離れなかった。

「死にたい」という感情が生まれるのに理由なんてなかった。私はうつ病は一種の「脳みそのバグ」だと考えている。

ひたすらに休み続けた。身体と心に休養を与えた。すると少しずつ元気になっていった。「仕事に行ってみようかな」と思えるようになった。

 

仕事に復帰して、3か月が経った。

復帰したての時期は朝起きて、職場に行って、職場で時間を過ごして、家に帰ってくるまでがやっとだった。家に着いた瞬間、ベットに倒れこんで1~2時間休んでからじゃないとご飯やお風呂ができなかった日も多くあった。電車を目の前で何本も見送った。

ヤバそうなときは時間休や有休を上手く使いながら、何とか乗り切っていた。とにかくどれだけ体力を残しながら1週間を乗り切るかが勝負だった。

 

先日、ボスに呼ばれて「最近有休使わないで1週間乗り切ってるじゃん、前よりずいぶん元気そうだよね」と話をされた。

私は有休を使いながら仕事に来ていたことさえすっかり忘れるくらい、元通りに戻っていた。うつ病で仕事を休んでいたことさえも、忘れて過ごす日の方が多くなっていた。

目から鱗だった。たぶん私は元気になったのだ。100%元通りになったわけではないけれど、「死にたい」と思うこともすっかりなくなったし、元気に毎日過ごすことができるようになった。原因不明の体調不良もなくなって、いつも通りの生活に戻ることができた。仕事帰りに飲みに行ったり、買い物をしたりすることも躊躇なくできるようになった。

 

傷は癒える。休めば治る。時が経てば忘れられる。

私がこの半年で得た知見である。

今後私の周りの人が苦しむようなことがあったら、教えてあげたいと思う。

私がこの先、また悩むようなことがあったとしても、このブログを読み返して少しでも元気になれたらいいと思う。

そんな暑い夏の日のブログ。おわり。

旅と価値観

「今までいくつの県に一緒に行ったかな」
数えてみるとゆうに30都道府県を超えていて、いつのまにか一緒に行ったことにない県の方が数えるのが早いくらいになっていた。
 
出会ってまだ10年も経っていないというのに、もうそんなにたくさんの場所に行ったのかという事実を改めて考えると、感慨に浸らずにはいられない。
私も彼も生粋の旅行好きで、付き合う前から、友人たちと連れ立って色々な場所に遊びに行っていた。
学生だからお金がなくて、夜行バスに揺られたり、徹夜で下道を走ったり。徹夜で運転して、レンタカーを朝に返してそのまま授業へ行ったこともあった。    
社会人になった今では、なかなか会うことができないけれど、休みとお金を工面して、年に数回の会える機会にはここぞとばかりに色々な場所へ遊びに出かけている。
 
旅行という共通の趣味があることはとても大事だと思っていて、その上金銭的な価値観も似ていることが、仲良く過ごせているひとつの要因だと思っている。
ふたりとも食べることが好きで、旅先で食べたり飲んだりすることにお金を使うことに対して抵抗感を持つことはあまりない。
「普段は節約するけど、旅先では美味しいものを食べたいよね」という共通の価値観がある。
 
「人混みを避けたい」ということに対しても共通の認識がある。
人混みにいるときの疲労感がすごい上、ふたりとも少し性格がひねくれているため「The 観光地」っぽいところにはあまり行こうとしない。
ガイドブックのすみっこの方に載っていたり、あまり人気がなさそうだけど景色がきれいな場所とか、穴場とか、そういう場所に行きたいねってなる。
車を走らせながら、偶然見つけた「ここよさそうだよ」という場所に寄ってみたり、そんな旅スタイルが気に入っている。
 
「”観光客ホイホイ”には引っかからないぞ」という謎のテーマが先日生まれた。
傍から見たら、本当にひねくれていると思うけれど、それで二人が納得しているからそれでいい。
 
私は少しオタク気質があって、旅先でとある被写体に出会うと夢中で写真を撮ることが多い。
被写体は、他の人にあまり理解されない分野だから、人と一緒にいるときには思いっきり撮影することは憚られる。
その上ガイドブックには載っていないことが多く、街中やドライブ中に偶然見かけて「あれ撮りたい!」となることが多い。
彼はそれを理解してくれていて、私が彼をほったらかしでぱしゃぱしゃ写真を撮っていても、のんびり待ってくれる。ありがたいことこの上ない。
 
少し無茶な行程を組んだりしても、文句を言わずについてきてくれるし、とことん付き合ってくれるそんな姿がとても素敵だと思う。
(学生時代から「このメンバーならいける!」と思うと無茶な行程を組みがちだった、少し反省はしているけど楽しかったから後悔はしてない)
 
これからも一緒にいろんな場所に行って、いろんな美味しいものを食べて、「今日も疲れたけど楽しかったね」と言って眠りにつくような旅がしたい。
そんな風に感じた暑すぎる海の日3連休だった。

救われること

「救われた」という言葉がある。
人生において多用することはないかもしれないが、ここぞという瞬間「救われた」と感じる時がある。
 
何に救われるのだろう。何から救われるのだろう。
今にも崖から落ちそうな、片腕がかろうじて崖をつかんでいるという絶体絶命な状態で、他の人に自分を引き上げてもらったなら、それは正真正銘の「救われた」状態に当てはまると思う。
 
でも、人生においてそんなに分かりやすいことってあまりない。
 
それよりも「心理的に」「救われる」ことの方があるのではないだろうか。
そして私は、救われた瞬間に「救われた〜〜」って思うことよりも、「あぁ、あの時はあれに救われてたんだな」と思い返すことが多い。
そんでもって、それは苦しんでいる直接的なものが解決したりだとか、自分の悩みを聞いてアドバイスをもらった瞬間が必ずしも当てはまるとは言えない。
むしろ悩んでいることとは全く関係ないところで救われる瞬間が多々あるように思う。
 
なんで救われたのか、なにに救われたのか、よく分からないけど、気がついたら救われている。
それは、何気なく見ているYouTubeの動画だったり、ボロボロになるまで読んだ本だったり、たまたま目に入ったブログだったり、街中で流れてる音楽だったり、水族館で泳いでるペンギンだったり、毎日枕元にいるぬいぐるみだったりする。
 
私が辛いときに、無意識にすぐ取り出せる場所にいた「それら」は、私を救っていたのだ。
でも、私を救ってくれた「それら」は私を救おうとして何かをしてくれたわけではない。
誰かが生み出したものであることには間違い無いのだけど、その目的は「私を救う」ことではなかったはずだ。
「それら」が生まれた理由は、誰かの趣味だったり、ビジネスだったり、愛だったりするのかもしれない。
それでも、結果的に私と全然関係ないところで生まれた「それら」が私を救うことになっている。これが不思議でしょうがない。
 
私が救われたものたちの一部を書き残してみる
ハリーポッターシリーズでのフレッドとジョージの掛け合い
・Quiz Knockの動画の中で楽しそうかつ真剣にクイズに答えてるメンバーの姿
・ちはやさんの動画(特にマリオカートWiiドラクエ8FF10)
・まなつさんのブログ(特に"愛"について書いてある記事)
・作家有川浩さん「植物図鑑」内でイツキとさやかが散歩してるシーン
・SSW佐野仁美さん「Fighter」のサビ
 
みなさんはなにに救われていますか。
素敵なものを探しながら、明日も生きていきましょう。

2018年、上半期の振り返り

今日だけ2018年も半分終わっちゃいましたね。早い、早すぎる。
上半期の振り返りを細々とやっていきます。
 

①失われし数ヶ月

言葉の通り、数ヶ月を失ってました。仕事を休んで、ひたすらうつに耐えていた数ヶ月。自分でもびっくりなんですけど、一番しんどかった頃の記憶がごっそりと抜け落ちてるんです。
まじで記憶がない。ブログとかnoteを見返せば何をやっていたのかとかは思い出せるんですけど、それはまだマシな時に書いたやつで、本当にどん底だった時の記録は一切残ってないから(残せる余裕はなかったから)、本当に思い出せないんです。
まぁ、これも人生、長いスパンで見たら数か月の躓きなんて大したことなくなるんだろうなって思いながら生きていきたいですね。
 

②ジムに通い始めた

えらいぞ~わたしえらいぞ~~。今は週2~4くらいのペースで通っている。これをキープしていきたい。
下半身を重点的に鍛えて、脂肪が燃えやすい身体を作る。半年後、自分がどうなってるか楽しみだな。
 

③ブログ300記事達成

ここまで早かったな~もうそんなに書いたのか?ってのが率直な感想。
1記事基本的に1000文字越え、だいたい平均して1500文字書いてると換算すると、このブログだけでも45万字書いてることになりますね。やば。
多分1500文字以上だと思うので、もっと文字数いってると思う。別に文字数がどうのこうのって話じゃないけど、ずいぶんたくさん書いてるなって思う。パワー感じる。
年末までに350記事いけたらいいな~と思いつつ、どれくらい忙しいかとか、ブログ書けるかは分からないからなんともですね。
楽しんで書いていきたいな。
 

④noteはじめた

ついに手を出しましたnote。最近ではブログより頻繁に更新してる感ある。
わたしの周辺でnoteの日記ブームがきていて、私も例に漏れず日記を書いています。毎日は無理だけど、どうでもいい出来事を徒然なるままに、なんてね。
どうでもいい日記書くの楽しい、しばらくは個人的にnoteブームが続くのかな、いろんな人に日記が読みたいので、たくさん書いてほしいです。
わたしのnoteもちょっぴり宣伝。
 

➄小説を書きたい

私の今働いている業界誌を読んだときに「うちの業界の仕事を朝ドラで主人公にやってほしい、認知度を高めたい」という文章を目にしたんです。
私のいる業界、どんなにITとか技術が進んでも絶対になくならないと断言できる分野なんですね、そんでもって人に認識されている率が低くて、世間的なイメージはあんまりよくなくて、そんでもって激務。人も全然足りてない。
今頑張ってイメージ改善して、若手が入ってこれるように努力してるんですけど、私の業界をメインにした小説ってほとんど見たことないんですよ。私が知らないだけかもしれないけど、たぶん一般の人にはあまりなじみがなくて、実際何やってるの?って感じの仕事で。
小説から物語として入っていけたら、少しは志望してくれる人増えるんじゃないかなって。でもきっとそれを書くことは、その業界で働いてないと難しいんだろうなって。
お堅い専門書はいくらでも掘ったら掘っただけ出てくるけど、誰でも手に取れるような位置にある、簡単に言えば「誰でも読める、簡単なお話」として書かれてる本は読んだことがないんですよ。特にそこで女子が主人公として活躍している話には出会ったことはないんです。
今グーグル検索してみたけど、ヒットしなかったです、あぁ、悲しい…
 
この世の中にないなら、私が書いたらいいんじゃね?ってことで、色々考えてみてはいるんですけど、もう、小説書くのめっちゃむずいです。というか無理です。
私は私が経験したことや、感じたことしか書けない。主人公とか周りの人間を作って、自由に動かすことができない。めっちゃむずい。
…小説書ける人尊敬します。想像力とか、それを書ける筆力とか、すごすぎる。
どうやったら書けるかなぁ。書きたいなぁ。自分の経験を少しだけ脚色して、短編で書き始めるとかなのかな。むずい、ほんとむずい。
今年の下半期は小説にも挑戦していきたいな。
小説でもブログの話でもエッセイでもなんでもいいから、死ぬまでに1冊本を出版したい。
 

⑥ネットの向こう側の手の届かない人に想いが届いた、インターネットの無限の可能性

インターネットとブログの奇跡が起きました。
私がずっとあこがれていた人に、私がブログに書いた文章を読んでもらえたんです。ダメ元でDM送ったら、読んでくれて、しかも丁寧な返事をくれたんです。
すごいなって思いました。語彙力まじで足りてないけど、すごいなって。
ちょっとこれに感動しちゃって、ブログ書いててよかったなって思ってます。そんでもって、ダメ元でも行動に移してみるべきなんだって。
インターネットすごいわぁ。
 

➆ナッツが美味しい

最近ナッツ類にハマってます。噛めば噛むほど甘くて、お腹も満たされて、いい感じ。
仕事中ぽりぽり食べてます。リスみたい。リスみたいにかわいくはないけど。リスになりたい。
 
そんな感じ。まだ6月終わったばっかりなのに、梅雨も明けて、もうすでに暑すぎて嫌になっちゃうけど、2018年、後半戦も生きていきましょう。
おわり。