「すだちも、来る?一度見に来なよ、気楽な気持ちでさ」
同級生がバンドをやっているという。
バンドと聞いて連想されるのは、高校生の頃の軽音楽部。
友達がライブをするからと、高校の端っこにある食堂へ足を運んだことがある。ありとあらゆる隙間が雑多なダンボールや養生テープや新聞紙で塞がれ、遮光と防音が施されていた、小さな食堂。人口密度が生むのは圧倒的な熱気。よく分からない機材がウンウンと音を出している。ライブが始まった瞬間、耳の鼓膜が破れるかと思うほどの爆音がわたしを襲った。ズンズンという振動が心臓や耳や頭に響き渡る。大きな音やあの独特な波長に慣れていなかったわたしは頭痛に襲われすっかり萎縮した。それ以来「バンド」や「ライブ」といった文化からなんとなく距離を置いて生きてきた。
高校2年生の夏、仲のいい友達から「バンドを組もうよ」と誘われたこともある。
その時にはとっさに「わたしなんかに音楽ができるはずがない」と全く考えもせず、反射的に断っていた。
ライブはうるさくて頭が痛くなるし、大人数の前で演奏するのは怖いし、そもそも自分なんかに"バンド"というものができるはずがないし…
軽音楽部に友達は多かったが、軽音楽部としてまとまった時の(全体としてまとまってるのかよく分からないけど)あの雰囲気に馴染める気にもなれず、友達が多かったとは言っても男友達ばかりで軽音楽部にいた女の子たちはなんとなく怖かったし(偏見でしかない)、反射的に断っていた。
それ以来、わたしは「音楽」との縁がないわけだが、つい先日、冒頭に書いたことばをまた別の友達に言われた。
最近は新しいジャンルの誘いは拒まず、とりあえず一度参加してみよう、と考えてあるわたしは「とりあえず遊びにいってみる」と答えた。
***
その日、扉を開くとキラキラした空間が広がっていた。
ギターと、電子ドラムと、キーボードと、四角い箱や、ボタンのたくさんついたゲームコントローラーのような機材、それにコードがたくさん。
間接照明で照らされたそれらは、なんのためにあるのか分からないものばっかりなのに、どんな音を出すのかさえも分からないのに、"そこ"にいるのが当たり前のような顔をして、それぞれの場所に収まっていた。
友達が集まって来て、それぞれが練習をはじめる。
「すだちが好きな曲を教えてよ」と言われスピーカーで流した音楽を、その瞬間耳コピして同じ音で奏ではじめた。
どういうことなのかさっぱりわからない。
初見(初耳?)の曲をあっという間にコピーしてしまうなんて意味がわからない。
それでも即興でそれっぽい音楽を奏でている彼・彼女らはとても輝いてみえた。
高校生のように連れ立ってサイゼリヤへ行き、ミラノ風ドリアを食べて、また部屋へ戻った。
「試しにやってみなよ」と座らせてくれたのはドラムの席。
スティックの握り方とドラムの叩き方を教えてもらう。
まずは基本の8ビートから。
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。
右足でドン。左手でトン。
ゆっくり数えながらリズムを刻む。
いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。
いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。
こんなにゆっくり1〜8までの数字とリズムに向き合ったのはいつ以来だろう。
右手と左手と右足をばらばらのタイミングで動かすのは難しい。でも、だんだんできるようになってくる。
テンポを早める。左手と右足のタイミングを変えてみる。
30分くらいで3つくらいのリズムを教えてもらった。
わたしがゆっくりゆっくりリズムを刻むと、ギターの練習をしていた子が、さりげなく入ってくる。
斉藤和義の「ずっと好きだったんだぜ」のメロディーが流れはじめる。
ベースが入ってくる。
わたしのたどたどしいドラムに合わせてギターとベースが音楽を奏ではじめた。
この瞬間、わたしの脳内を占めている感情は100%「楽しい」だった。
なんだかよく分からないけど「楽しい」。
色んな音が混ざり合って、ひとつの曲っぽい何かが、そこに存在していた。
「はじめてなのにリズム安定してるし、飲み込み早いね。本当にはじめてなの?」なんて褒めてもらえる。単純なわたしはすぐに喜んだ。お世辞かもしれないけど、お世辞だって嬉しいものは嬉しい。
10年以上ギターをやっている子もいれば、楽器をはじめて3ヶ月しか経ってない子もそこにはいた。
わたしなんて今日はじめてドラムに触ったのだ。
上手い下手の差はすごいかもしれないけど、そこには初心者にも優しい空間と言葉が存在していた。
家に帰ってからも、バンドとして音楽を演奏する楽しさにびっくりしていて、文字通り打ちのめされていた。
こんなに楽しいことが世の中にはあったのか。世界中の人たちが音楽に熱狂しているのは、こういう楽しさがあったからなのか。
簡単に言葉にできるほど単純じゃないかもしれないけど、確実に「楽しかった」という感情だけは断言できる。
今まで食わず嫌いで敬遠していた自分が悔しいし、もっと早く知りたかった。
でもきっと世の中には自分が知らないだけで楽しいことはたくさんあって、そのほんの一欠片を運よく見つけることができたのだと思う。
もう25歳だけど、遅くない。早くはないかもしれないけど、遅すぎることもない。
はじめてスティックを握ったあの日の感動をわたしは忘れたくない。そう強く思った。