ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

ギターを買って1週間が経った【ギター日記】

1日目
満員電車に揺られて頑張って持ち帰って来たギターをギターバックから取り出して、付いてきたピックで適当に鳴らしてみる。
チューナーの使い方がさっぱり分からないため音もなにもかもがデタラメ。割と大きな音が出てしまい、夜遅くにビビる。

2日目
チューナーの使い方を調べる。
電源をつけて、ギターのヘッドに挟み、音を鳴らしてみる。目盛りのようなものがあっちこっちに振れるけど、どうすれば真ん中でぴったり合うのか分からない。4弦だけがどれだけ格闘しても合わなかった。
4弦だけ変な音のまま、ともだちに書いてもらった楽譜を単音で練習する。とても難しい。

3日目
仕事帰りにギタースタンドを購入。
バックにずっと入れて保管すると湿度とかでやられちゃうし、なによりスタンドに立てておいた方がインテリア的にもいいよ、とともだちに勧められる。
型番まで指定してもらい、それをおとなしく購入した。
ギタースタンドに上手くギターを立てるのが難しい。でも、ちゃんと自立してくれた瞬間は嬉しかった。かっこいい、ギタースタンド。

チューニング、無事に6弦全て完了。達成感がすごい。
変わらず楽譜の練習。1行目が少しだけスムーズに弾けるようになる。

4日目
出張のため不在。

5日目
出張のため不在。

6日目
まずはチューニング。
ほとんど音はズレてなかったためすぐ完了する。
楽譜の練習。少しずつだけど指が覚えてきたため2行目も弾いてみる。綺麗に音を出すのが難しくて空っぽな音が鳴ることが多い。悔しいけどコツがわからない。
使ってるピックがやたら柔らかいのでは?という気持ちになる。

7日目
チューニング。問題なくできるようになってきた。
楽譜の練習。3行目、4行目に突入。
1行目はスラスラ弾けるようになる。2行目もまあまあ。
コードの練習をしてみる。さっぱり分からない。音が合ってるかよく分からず終了。

はじめて奏でた日

「すだちも、来る?一度見に来なよ、気楽な気持ちでさ」

同級生がバンドをやっているという。

バンドと聞いて連想されるのは、高校生の頃の軽音楽部。
友達がライブをするからと、高校の端っこにある食堂へ足を運んだことがある。ありとあらゆる隙間が雑多なダンボールや養生テープや新聞紙で塞がれ、遮光と防音が施されていた、小さな食堂。人口密度が生むのは圧倒的な熱気。よく分からない機材がウンウンと音を出している。ライブが始まった瞬間、耳の鼓膜が破れるかと思うほどの爆音がわたしを襲った。ズンズンという振動が心臓や耳や頭に響き渡る。大きな音やあの独特な波長に慣れていなかったわたしは頭痛に襲われすっかり萎縮した。それ以来「バンド」や「ライブ」といった文化からなんとなく距離を置いて生きてきた。

高校2年生の夏、仲のいい友達から「バンドを組もうよ」と誘われたこともある。
その時にはとっさに「わたしなんかに音楽ができるはずがない」と全く考えもせず、反射的に断っていた。
ライブはうるさくて頭が痛くなるし、大人数の前で演奏するのは怖いし、そもそも自分なんかに"バンド"というものができるはずがないし…
軽音楽部に友達は多かったが、軽音楽部としてまとまった時の(全体としてまとまってるのかよく分からないけど)あの雰囲気に馴染める気にもなれず、友達が多かったとは言っても男友達ばかりで軽音楽部にいた女の子たちはなんとなく怖かったし(偏見でしかない)、反射的に断っていた。

それ以来、わたしは「音楽」との縁がないわけだが、つい先日、冒頭に書いたことばをまた別の友達に言われた。

最近は新しいジャンルの誘いは拒まず、とりあえず一度参加してみよう、と考えてあるわたしは「とりあえず遊びにいってみる」と答えた。

***

その日、扉を開くとキラキラした空間が広がっていた。
ギターと、電子ドラムと、キーボードと、四角い箱や、ボタンのたくさんついたゲームコントローラーのような機材、それにコードがたくさん。
間接照明で照らされたそれらは、なんのためにあるのか分からないものばっかりなのに、どんな音を出すのかさえも分からないのに、"そこ"にいるのが当たり前のような顔をして、それぞれの場所に収まっていた。

友達が集まって来て、それぞれが練習をはじめる。
「すだちが好きな曲を教えてよ」と言われスピーカーで流した音楽を、その瞬間耳コピして同じ音で奏ではじめた。
どういうことなのかさっぱりわからない。
初見(初耳?)の曲をあっという間にコピーしてしまうなんて意味がわからない。
それでも即興でそれっぽい音楽を奏でている彼・彼女らはとても輝いてみえた。

高校生のように連れ立ってサイゼリヤへ行き、ミラノ風ドリアを食べて、また部屋へ戻った。

「試しにやってみなよ」と座らせてくれたのはドラムの席。
スティックの握り方とドラムの叩き方を教えてもらう。
まずは基本の8ビートから。
シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン。
右足でドン。左手でトン。
ゆっくり数えながらリズムを刻む。

いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。
いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち。

こんなにゆっくり1〜8までの数字とリズムに向き合ったのはいつ以来だろう。
右手と左手と右足をばらばらのタイミングで動かすのは難しい。でも、だんだんできるようになってくる。
テンポを早める。左手と右足のタイミングを変えてみる。

30分くらいで3つくらいのリズムを教えてもらった。
わたしがゆっくりゆっくりリズムを刻むと、ギターの練習をしていた子が、さりげなく入ってくる。

斉藤和義の「ずっと好きだったんだぜ」のメロディーが流れはじめる。
ベースが入ってくる。
わたしのたどたどしいドラムに合わせてギターとベースが音楽を奏ではじめた。

この瞬間、わたしの脳内を占めている感情は100%「楽しい」だった。
なんだかよく分からないけど「楽しい」。
色んな音が混ざり合って、ひとつの曲っぽい何かが、そこに存在していた。

「はじめてなのにリズム安定してるし、飲み込み早いね。本当にはじめてなの?」なんて褒めてもらえる。単純なわたしはすぐに喜んだ。お世辞かもしれないけど、お世辞だって嬉しいものは嬉しい。

10年以上ギターをやっている子もいれば、楽器をはじめて3ヶ月しか経ってない子もそこにはいた。
わたしなんて今日はじめてドラムに触ったのだ。
上手い下手の差はすごいかもしれないけど、そこには初心者にも優しい空間と言葉が存在していた。

家に帰ってからも、バンドとして音楽を演奏する楽しさにびっくりしていて、文字通り打ちのめされていた。

こんなに楽しいことが世の中にはあったのか。世界中の人たちが音楽に熱狂しているのは、こういう楽しさがあったからなのか。

簡単に言葉にできるほど単純じゃないかもしれないけど、確実に「楽しかった」という感情だけは断言できる。

今まで食わず嫌いで敬遠していた自分が悔しいし、もっと早く知りたかった。
でもきっと世の中には自分が知らないだけで楽しいことはたくさんあって、そのほんの一欠片を運よく見つけることができたのだと思う。
もう25歳だけど、遅くない。早くはないかもしれないけど、遅すぎることもない。

はじめてスティックを握ったあの日の感動をわたしは忘れたくない。そう強く思った。

 

目線はいらない

人を撮影する機会に恵まれた週末だった。
新しい一眼レフを携えて、わたしは駆け回っていた。
400枚ほど撮影して、渾身の出来だと思える写真が数枚撮れた。動きが激しい場にもいたのだけど、新しいカメラはそんな彼らの動きもバッチリ捉えてくれる。本人に写真を見せたら大層気に入ってくれた。

わたしは自然な表情を撮るのが好きだ。
風景やご飯も好きだけど、撮影していて一番楽しいのははやり「人」である。
カメラに向かってピースをしてくれるのももちろんいいのだけど、動き回ってはしゃいだり、仲間と談笑したり、油断してぼーっとしている瞬間だったり、そんな一瞬の素敵な表情を切り取れるとすごく嬉しく感じる。

今回も何枚かいい写真が撮れて、いろんな人に見てもらいたい!からSNSにあげたい!って思うけど、それらは全て人の顔が写り込んでいるものなので、本人に共有して、それで終わりだ。ちょっと寂しいけど、それくらいでちょうどいいのかもしれない。でもやっぱり見てもらいたいので、仲のいい人に会った時に見せつけようと思う(迷惑)

新しいカメラは、夜でも室内でも、綺麗に明るく写してくれるのでとてもいい。スマホでは表現が難しいことも、頑張ってくれる。何より望遠レンズを使うと遠くで動き回ってる人たちを撮れる。それが本当に嬉しい。

カメラに目線はいらない。みんなが楽しそうであればそれでいい。
こんな風に精力的に動けるようになったのも、自分が元気になった証拠だ。
そんな自分を褒めつつ、最高に調子に乗ったブログを書いてみた。

最近のこと(2019.5)

圧倒的駆け込み投稿。1年前から月一ペースで書いてる「最近のこと」。

気付いたら今月があと数日で終わってしまうことに気づき、慌てて書いております。

ではいきます。まる。

 

暑いねぇ

どうしてこんなに暑いんだろうね、まだ5月なのに平気で30度超えてるとか頭おかしいんじゃないの、心地よかったGW~5月半ばくらいまでの気候を返して!!って感じ。

とりあえず今日、汗と日焼けと暑さ対策グッズを4000円分近く買い込んできました。仕事柄めっちゃ大事。汗と日焼けと暑さ対策。もう日傘は活躍してます。暑いのつらいよう。早く秋にならないかな、夏とかいらない、秋になってほしい。

 

扇風機とエアコンと

稼働するのがはやすぎるけど、早速扇風機はがんがん回ってます。

エアコンも試運転。とりあえず動いてくれたのでおっけー。昼間は部屋が暑くなりすぎるからつらい。帰ってきた時サウナ状態。

 

ギターとドラムにはじめて触った

先日、はじめてギターとドラムに触りました。少し弾かせてもらって、友達の演奏を聞いて。すごく楽しかった。

あまり今まで縁のなかった世界だけど、趣味として始めたらすごく楽しいかもしれない。そんなことを思いました。これについては今度じっくり書きたい。言葉は無限にでてきている、そんな感じ。

 

社交不安障害について

色々思うところがあって、調べてみたらこんな名前の病気を見つけました。

今、色んなベクトルで勉強しているところ。なんかすごく自分に当てはまっている気がして、もしかしたらわたしの感じている「生きづらさ」はこんな症状から来てるんじゃないかなとも思ったりしています。

人と話すとき緊張したり、やたら汗をかいたり、人前で文字を書くのが苦手だったり…

少しずつでもいいから自分が生きやすいように考えて行動していきたい。こういうことに詳しい方で、おすすめの書籍などあったら教えてください。

 

10連休よかったなぁ

写真を見返したりすると、今でもほんわか楽しい気持ちになれる。そんな10連休だった。

反動で5月病はひどかったけど、たまには欲しいな、そんな感じの10連休でした。

 

ほんと暑いのどっか行ってほしい。暑すぎて生きていけない。溶けちゃう。

日記みたいにどうでもいいことを書き散らかしてる感じのブログも探したい、更新止まっちゃうブログが多くて勝手に寂しい気持ちになったりしてます。

そんな感じ、熱中症に気を付けて生きていきましょうね!おわり。

お店選びの最適解

東京の反対側に用事があって、電車に乗って2時間近くかけて出かけた。用事はすぐに終わり、時間もあるのだから滅多に行かない反対側をふらふらすればいいのに、わたしは用事が終わった瞬間すぐに電車に乗り、自分が暮らしている場所へと帰った。

どうしてなんだろう、と思う。
5月だとは思えない暑さも影響しているけど、人が多いからとか、疲れちゃうとか、いつも出てるジムのレッスンに出たいからとか、いくらでも理由は出てくる。そんな理由もあるけど、深層心理でどうしても「いつもの土地」が心地いいと感じる自分がいる。

人の量、街の空気、ほどよい心地よさ、知っている店、いつもの道路。どこになにがあって、ここのお店が美味しくて、本屋はここ、ドラッグストアはここ、魚はここ、お肉はここ、そうやって自分のマップを少しずつ更新してきた。マップの更新がどんどん進むのは今暮らしている街だ。この土地を離れ難くなってしまうほど、愛着が湧いている。
いつか離れるんだろうなとは理解しているけれど、やっぱり愛着がある。次に離れるときはもう永遠の別れになるかもしれない。そう思いながら過ごしている。

大人になって、友達と会うときは飲食を共にすることが多くなった。
わたしはお店選びをするときに、わりと多くのことを考える。

お酒が飲めるor好きな子か?
飲める子だったら好きなお酒はなにか?
ビール?ワイン?ウイスキー?日本酒?焼酎?カクテル?
飲めない子だったらノンアルが美味しいお店がいいか?
それともご飯の美味しさに振り切って美味しいカレー屋とかレストランにするか?
ご飯にあまり頓着はなくてとにかくコスパを重視するか?
苦手な食材があるか?
逆に今までの経験で大喜びしてくれる料理があるか?
インスタ映えするようなお洒落なお店を好むか?
すこし汚くてごちゃごちゃしててもご飯やお酒が美味しければ大歓迎な子か?
話が盛り上がってすこし声が大きくなっても問題ない店にするか?
逆に周りがうるさいと会話が大変だから静か目なお店にするか?
体調は大丈夫そうか?食欲はありそうか?
あまり良くないなら胃に優しいご飯の選択肢があるお店にするか?
駅から遠くても喜んで一緒に歩いたり食後の散歩が好きなく子か?
できるだけ駅チカの方が嬉しい子か?
絶対的に禁煙を希望する子か?喫煙席でも大丈夫な子か?

…などなど。
考えすぎだろうか。わたしは友達と行く飲食店を事前に調べるときは上に書いたことをわりと自然に、無意識のうちに考えている。
せっかく会うなら美味しいご飯をお互いが満足しながら一緒に食べたいし、ゆっくりおしゃべりできるお店がいい。
日本酒とツマミで感動を分かち合えるなら一緒に感動を分かち合いたいし、「たくさん食べたのにこの値段なの?!」ってコスパの良さにびっくりしたいし、たまには背伸びして「これだけ美味しいなら全然お金もっと払うわ」くらいの気持ちになれる美味しいものを食べに行きたい。

「いいお店教えてくれてありがとう」って言われるとけっこう嬉しい。
別に自分はグルメなわけでもないし、毎週新しいお店を開拓してるとか、雑誌を読んでるとか、そういうわけでは全くないけれど、普段の行動範囲内で「このお店当たりだ!」って場所を見つけるとすごく嬉しくなる。
最近はお店に行ったとき「そこそこの人数を集めて貸切パーティができるか?満足度は高いか?ご飯やお酒は美味しいか?喫煙者、非喫煙者ともに快適に過ごせそうか?」などといったことを自然に考えてしまう。

結婚ラッシュがはじまっている。
結婚式をする子としない子、今のところわたしの観測範囲内では半々くらいだ。
結婚式をしない子のお祝い会的な飲み会を企画する機会が増えそうな気がしている。
(↑やたら「会」が多い一文だ。)

今も飲み会を企画しているのだけど、お店選びがとても難しい。わたしの普段の行動範囲内であればすぐに候補はいくつか出てくるけど、知らない土地は難しい。ネットの情報も取捨選択がとても難しい。
価格帯と参加者の満足度、それなりのバランスを考えるといくら探してもキリがない。でもせっかくならみんなに喜んでもらえる会にしたいし、ノンアルの子たちもご飯や飲み物でちゃんと満足してほしい、そんな風に思う。

お店選びは一種の愛情表現だ。
わたしはそう思っている。どんなお店を選んだら相手が喜んでくれるか、一緒に楽しさを共有できるか、そんなことを考えている時間は楽しい。
いろんな意味で「当たった」ときの嬉しさといったらない。自己満足かもしれないけど、そんなことを考えながらわたしは今日も美味しいご飯を食べて喜びを感じる。