ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

母校

あまり具体的なプランもないまま、足を進めていたら、母校の前にたどり着いた。
比較的往来の多い、幹線道路の前に佇んでいる、わたしの母校。当時は無かった、新しい建物が増えたりしていて、さながら自分の母校だ、と感じにくい部分もある。
それでも、校庭から漂ってくる土埃の香り、校門の前を歩く生徒(なんとなく、自分の母校の生徒だなと思う、直感力というのは、たとえ彼らがどんな服を着ていたとしても、なんとなく感じることができる)の話し声、カーテンの向こう側に見える教室の光、そういったものひとつひとつを感じることができる。これは、きっと変わっていない。部室棟からは、軽音楽部がギターの練習をしているところが見えるし、ベンチに座って談笑している生徒もいた。
でも、その母校はいまやわたしの居場所ではない。仮に懐かしさに負けて校舎に無断で立ち入ったりしたら、不法侵入で捕まってしまう。学校という場所は不思議な場所だ。在籍しているときは、毎日行かなければならないのに、卒業した途端「あなたは関係ないのでもう勝手に入ってこないでください」と言われてしまう。今まで歴代の生徒たちはたくさんいるだろうに、この瞬間に「この学校があなたの居場所だよ」と言ってもらえるのは、在籍しているたった3学年だけなのだ。当たり前のことだけど、よく考えると不思議で、ちょっと薄情だなと思う。でも、卒業してからわたしが何か母校のためにやったのか、と言われたら別に何もやっていないし、特に関係もないから、そんなもんなんだろうなとも思う。
 
ところで、今わたしはこの文章を、その母校の教室の灯りが見えるカフェから書いている。日が暮れて、教室の中についている灯りが、より目立つようになった。
全てが、素晴らしい思い出だったかと言われたら、そういうわけではない高校生活だったと思う。それでも、仲良くなった友人たちとは今でも繋がりがあるし、毎年決まって会う人たちもいる。
結局思い出されるのは、部活がメインで、とにかく毎日、毎日、部活に明け暮れていた高校生活だったなと、今考えても、そう思う。
何かに打ち込めるという環境は、かけがえのないものだ。そしてそれに一緒に打ち込める仲間がいたらなおさら。
今までの人生で一番何かに打ち込んでいたのは、高校生活の3年間と、大学2年生の1年間、それくらいだと思う。あの時放っていた輝きが、今もあるとは思えない。でも、何かにもう一度打ち込むことはしたいなと思う。こうやって感傷に浸ったり、自分を省みて色々考えることができるのは、今自分に時間がたっぷりあるからで、自分についてもう一度ちゃんと知る機会を与えられているからだと思う。そう思うようにしている。
実際、この時間が与えられたことで、自分について今まで以上に知ることができたし、それは今後の人生において、非常に大事なことに繋がってくると思う。今じゃなかったとしても、5年後、10年後とかに躓いていただろうから、今でよかったじゃないかと、思えるようにもなった。
 
職場に提出する書類についての指示を受けた。もう数ヶ月ポヤポヤしている自分にとって、書類を処理することへのハードルが上がっていることは確かなことだった。電話口で言われたことをメモして、少しだけパニックになって、箇条書きにしてやることをまとめて、どうにか噛み砕いて理解する。でもやること多いなぁ、うまく提出できるかなと心配になったけど、一晩経って冷静に考えたら、作業工程的には大した頃のないことだった。びっくりするくらい単純で、きっと元気な時の自分だったらあっという間にこなせるような内容だったのだけど、それさえも大きなハードルに感じてしまう、そういう状態だ。
 
自分の状態を客観的に理解して、それを書き残したいと思うのだけど、自分のことを客観的に書くのってすごく難しい。
それも、人に読んでもらう前提で、って考えると余計難しい。文章力や伝える力、思考力を養いたいと思う。
 
恋人に、自分の考えを伝えて、思考の手伝いをしてもらうことがあるのだけど、その時のアドバイスや、思考の整理の仕方がとっても的確で「なんてできた人なんだろう」と毎回惚れ直したりしている。
ちゃんとわたし自身に考えさせること前提で「問題はもっと単純なんだよ、AかBをまず決めてから先のことを考えたらいいと思うよ」「同時に考えすぎてるからパニックなんだよ、まずはこれについて考えてみよう」などと優しく諭してくれる。そしてわたしの思考のクセなども、わたし以上に分かっている。
 
自分1人だと、訳の分からない、そしておそらく意味のないループに陥って、無駄な時間と体力を使ってしまうことも多い。
 
わたしは理系で、恋人は文系。でも、わたしの方が感情的になって考えたり、文章を書くことが好きだったりして、恋人の方がびっくりするくらい冷静で、論理的にモノゴトを考えている気がする。性格や特性はバラバラだけど、なんとなく補い合って(今はわたしが支えてもらってばっかりだけど)生きていけるんじゃないかなと思ったりする。楽観的すぎる?
 
自分の部屋にベッドがあるから、すぐに寝てグダグダしてしまう。よくない。横になっている必要のない体調の時は、極力起き上がって、活動していたい。常に100%は無理だけど、常に40%くらいの力で行動していきたい。