ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

「かわいい」がわからない

この世に生きる女性における永遠のテーマ。「かわいく」なること。

 

「かわいくなりたい」「あの子はかわいい」こんな会話が日本中、いや世界中で繰り広げられているだろう。

ずぼらな私でさえ一日5回は「かわいい」という単語を発しているように思う。

「かわいい」は正義だ。うん、確かに正義だと思う。かわいい子を見ていると自分も幸せな気持ちになるのは確かだ。

「かわいくなりたい」との一心で、世の中の女性はダイエットをし、メイクを勉強し、ファッション誌を読み漁り、エステに通う。

 

私はどうも自分自身にそのようなベクトルを向けることができない。

世の中の女性が「かわいくなりたい」の向こう側に求めるのは何か。

ここ3日ほど必死に考え続けて、至った結論は「モテるため」

異性・同性に限らずかわいい子はモテるだろう。第一印象で競った場合なんて、かわいい子にかなうはずがない。

オシャレに敏感な子が「最近気が付いたんだ、私全然モテないの」と嘆いていた。その子のリア充度やオシャレ度を数値化したらかなり上位に入るだろうし、かわいくなるための努力を惜しまない子だ。

ファッションやオシャレが純粋に好きな人もいるだろうし、モテるために日々努力をしている人もいるんだと思う。

「かわいくなる」ことが目的なのか手段なのかは人それぞれのような気がするけれど、自分にその努力のベクトルを振ることができない。振ろうとも思えない。

 

世の一般の人が「モテない」ことに悩んでいる人がどれくらいいるのかは分からないけど、自分には「異性に気に入られたい」とか「モテたい」という欲求が全然なくて、彼氏にさえ認めてもらえればあとはなんだっていいやと思ってしまう人種である。

自分で言うのもたいがいだが、客観的に見て全くと言っていいほどモテないしそういう男女のめんどくさいことにはできるだけ関わらないように生きてきた。

正直、かわいい子の方が人生で得していることは沢山あるんだと思う。自分はその甘い蜜を知らないだけなのかもしれない。けれど、別に知らなくていいやと思う自分がいるのが正直な話で。

 

「かわいくなる」ことよりも興味のベクトルが大きく外れているから「かわいくなる」ことにエネルギーが割けないのか「かわいくなる」ことから逃げているのかなんなのか自分でも良く分からない。

「かわいくなる」ってなんだ。モテることなのか。何のためにかわいくなるのか。

 

洋服を買いに行っても、自分で着たいと思えるようなものになかなか出会えないし、むしろめんどくさいなぁなんて思い始めてしまっている。

「かわいい」の正体がさっぱり分からない。他人に認めてもらうことなのか、自己満足の世界なのか。

 

「かわいいモノ」に対する萌え的な要素は感じる。(萌えという表現が正しいとは思えないが、自分の語彙力の中では一番近い言葉だ)

うぉおおかわいい!このイヤリングかわいい!みたいな。*1

モノとしては愛せるけど、自分に当てはめることになるとさっぱりだ。

かわいさを感じるベクトルも世の女性とはかなり外れている自信がある。

最近一番かわいかったものはなんですか、って聞かれたら人でも洋服でもなくて「中之条ダム」って答えちゃうから。自分でもドン引きの答え。

イヤリングはほんとにかわいいんだよ、普通のイヤリングだよ。

 

世の中の普通の感覚って難しい。自分の中のかわいいの正体が永遠に見つかることはなさそう。

 

*1:読み返して思ったけど、「うぉおお」なんて表現、かわいい子はしない