ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

主役だったあの時 / 有川浩「キケン」を読んで

久しぶりに有川浩の「キケン」を読み返した。

大学生の時にはじめて読んだその本は、工科大学内にあるゴリゴリの理系サークルの日常を切り取った作品だなと感じた。男だらけの所帯で、毎日バカなことをやっている、ド青春な感じの作品。男だらけのサークルも楽しいんだろなぁ、私は入っていけないだろうからちょっと寂しいな、羨ましいな、なんて思いながら読んでいた。

 

社会人になって、もう一度ゆっくり読み直すと、昔読んだ時とは別の視点から楽しむことができた。男だらけの「機械制御研究部」(通称【キケン】)というサークルは、4月に新入生の獲得のため新歓に奔走するところから始まり、女子大との恋愛や、学園祭でラーメンを売りまくるという、「大学生の日常」がたくさん詰まっている。

それらの【キケン】での出来事を、30歳になった主人公が、彼女に向って思い出話として話していく、というストーリーだ。

特に印象深いのは、学園祭でラーメンを売りまくるというお話で、何を隠そう、私も大学生の頃は学園祭に命を捧げていた。私は学園祭の実行委員で、【キケン】のメンバーは模擬店としてラーメンを売る立場。運営側と、参加側として立場は違うけれど、学園祭ならではの雰囲気とか、あの数日間の熱気を思い出すには十分すぎる物語だった。

当日のために苦労して準備を重ね、準備日から「身体1つじゃ足りない!!」ってほどに構内を駆け回り、頭も体力も限界値を突破しながら当日を迎える。ほとんど眠れずに、当日の祭りを運営して、2~3時間の仮眠でしのぎながら、なんとか最終日、後片付け日まで持ちこたえるのだ。

私は実行委員を取り仕切る立場で、責任がとても大きいポジションについていた。自分の考えたシフトで実行委員を回し、突発事態が起きたら、すぐに連絡をもらい、いつなにがあっても対応できるようにとずっと本部で待機し続ける立場だった。当日は目の回るほどの忙しさで、睡眠をとる余裕もなく、部室で寝袋に包まって辛うじて2~3時間取る、という状態だった。あまりの睡眠不足に幻聴も幻覚も経験した。

本当に大変だったのだけど、本当に楽しくて、あの数日間に私の青春は凝縮されていたのだと思う。

 

大学を卒業して、30歳になった主人公が、再び母校の学園祭へ行き、自分のサークルのラーメン屋へ行ったときのシーンが印象的だ。

なあ、気づいてるか、お前ら。お前ら、今は必死で楽しいなんて考える余裕もないだろうけど。店回すのが楽しくて仕方ないってビシビシ伝わってくる。

今は店をやり遂げた達成感や打ち上げの開放感のほうが楽しく思えるだろうけど。

楽しかったのは正にその厨房の中で、シフトが終わるなり植込みに突っ込んで寝るほど極限まで働いてる正にその瞬間なんだ。

それに気が付くのは、自分がもう厨房の店員にも出前の司令塔にもなれなくなってからなんだ。部外者になってからじゃないと分からないんだ。

だからーーー限界までやっとけよ。祭りの主役でいられるうちに。

きっと俺たちもその厨房の中にいた頃が一番楽しそうに見えたんだ。

有川浩「キケン」より抜粋)

 

この文章を読んで、私は雷に打たれた気持ちになった。

そう、私たちも「祭りの主役」だった。決して表に出てパフォーマンスをするわけでもなく、お酒を飲みながらどんちゃん騒ぎをするわけでもなく、どちらかというと嫌われる役目の方が多かったけれど(チャラいだとか飲みサーだとか言われ、学園祭実行委員はイメージから嫌われることが多い、私の所属していた場所は全然そんなことなかったのだけど、凝り固まったイメージというものはしょうがない)、それでも祭りの瞬間は最高に楽しかった。仲間と衝突もしたし、何度もやめたいと思ったし、理不尽なことで沢山怒られたりもしたけれど、それでも、やっぱりあの数日間は「私が主役」だったし、私の仲間はみんな「主役」だった。

もう、祭りで「主役」になることはできない。今はもう顔も分からない何代も下の後輩たちが祭りの「主役」になっている。時折活動報告がTwitterに上がるけれど、もう知っている顔はどこにもなくて、遠い存在になってしまった。

 

同じ時間が戻ってくるわけはないのに、もうあの空間、あの時間は後輩たちのものなのに、それでも羨ましくて、羨ましくて、私もその場所に戻りたいって強く思う瞬間がある。戻れないって分かっているし、だからこそ最高の瞬間だったということは頭では理解しているけれど、またあの空間に戻りたいと思う。

大学を卒業してから、昨年も学園祭に行ったけれど、ただ構内を回るだけじゃ、全然物足りなくて、満足感が得られなくて、部室でみんなに指示を飛ばしたり、構内を駆け回ったり、怒られたり、徹夜で作業したり、ご飯を食べる時間がないほど忙しくしてないと物足りないなって感じた。私たちの祭りは、ひたすらに「労働」で成り立っていたからだ。

あの、気が狂うほど忙しくて限界まで追い込まれた、あの瞬間。絶対に戻ってくることはないけれど、私の心の中に鮮明に生き続けている。これからも、生き続けていて欲しいと強く思った。

 

年を重ねるごとに自分が「主役」になれる場面はどんどん減ってくる。自分が主役になれるのは子供の特権だったのかもしれない。

大人でも主役になれる瞬間はあるのだろうか。舞台に立ったり、スポーツしたり、ダンスしたりしている人たちは大人になっても「主役」でいられるシーンがあるのかなと思ったりもする。

私も何か「自分が主役」になれる別のことを探していきたいと、強く思った今日この頃。

キケン (新潮文庫)

キケン (新潮文庫)