ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

わたしが書く意味

手を洗いながら、正面の鏡にうつった自分を見て「この人はだれだろう、ああ、わたしか」と思った。

いつもの喫茶店で手帳を開いて、色んなことを考えて、思い浮かぶ言葉を、ただただ書き連ねていく。
とある人に会ったときの、ひとつひとつの発言や行動を思い出して、意味を見出すこともある。
自分の感情のうねりをただそのままの勢いに任せて書いてみたり、人間観察をしてひとつの発見をした喜びを書いたり、様々だ。

なぜ文字にするのか。文章を書くのか。
人に読んでもらう文章と、自分のためだけの文章。
いや、自分のためだけの文章だけど、ほんとうはそれだって読んでほしい。読んでほしい相手は、家族だったり恋人だったり友人だったりする。文章によって変わる。
でも読んで欲しくない、読まれて、わたしの深い部分が知られて、相手を悲しい気持ちにさせたら嫌だ。自分が受け入れてもらえなかったら嫌だ。でもやっぱり読んでほしい。
そんな気持ちが渦巻いている。

なんなんだろう、自分をまるごと受け入れてほしい気持ちが深いところにはあって、でもそれはきっと難しいことだから、外に出すことと出さないこと、相手によってそれを使い分けること、それは生まれてから今までの生活の中で身につけてきた。

わたしがブログに書いているひとつひとつの記事には、読んでほしい相手が浮かんでいて、その人たちに向けて書いている渾身のラブレターなのかもしれない。

自分の気持ちを伝えたい人がたくさんいる。
普段面と向かってそんなことを言う機会はほとんどなくて、でもわたしはあなたたちのことが大好きなんだよ、こんなことを考えているんだよ、ってことを伝えたいと思っている、そんな気がする。

自分の過去のブログ記事を読み返すと、当時考えていたことが分かって面白い。こんなことで悩んでいたのか、あの人にこの気持ちを伝えたかったのか、そんなことを思い出す。

このブログを地球に例えると、わたしの気持ちはマントルあたりのレベルで書かれているのではないだろうか。核には到達しないけど、地殻ほど外側ではない、マントルくらい。通じるかな。

みんなは相手に自分気持ちを伝えたい、ぶつけたい、って思うことってそんなにないのかな。それは特定の相手だけではなくて、周りにいるたくさんの人だったり、友人たちだったり。
不器用なわたしはそれを書くことで発散しているのかもしれない。