ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

脳内コンディショナー

知的活動ができるようになってきた。英語や専門の勉強が主だった活動である。

新しい目標ができた。やっと、自分がやるべきこと、これをやっていったらいいんだぞという明確な指針というものが完成しつつある。目標の達成のために、情報を収集し、整理し、目標達成までの道のりを考えていく。最短でも5年はかかる見通しだ。勉強量が、圧倒的に必要である。

最近は、ほぼ毎日、雨さえ降らなければ外出が可能になってきた。嬉しい。近所のカフェまで散歩して、カフェで1~2時間、調子がよければ6時間近く執筆や勉強をする。

たったこれだけのことだけど、去年は考えられなかったほどの活動量だ。

本屋さんに行っても、手が震えなくなった。めまいがして、動けなくなることが無くなった。

少し長時間、東京の電車に乗っても、過呼吸の予兆なものがやってくる頻度が減った。通勤時間帯の満員電車は映像を見ただけで、吐き気を催してしまうけれど。

 

知的活動に喜びを感じる。新しいことを知れるのは、純粋に嬉しい。楽しい。興味深い。頭を使った活動に、こんなにも充実感を感じることができるのかという、人間としての性質を改めて知ることになった。

考えてみると、幼少期はともかく、小学校に入ってからは社会人になるまで、日常的に頭を使っていた。うつになって寝込む生活をするまでは、毎日、勉強に限らず、なにかしら頭を使って生きていたし、新しいことを知る機会があったと思う。

うつになって、脳みそが完璧に停止してしまって、人間としての活動が出来ない時期があった。今も、ふとしたときに、停止してしまうときがある。

最近、再び勉強を始めて、新しいことを知る、覚えて、応用する、というこの過程がものすごい喜びを生むことだと改めて知った。もっと勉強したいと思うし、目標に近づきたいと思う。それでも、脳みそが動いてくれる時と動いてくれないときがあるのだ。動いてくれない時が、ものすごくもどかしい。

具体的には、左の前頭葉のあたり、特に午前中と夜19時以降。文字の読み書きに関する活動がほとんどできなくなってしまう。体は起きているのに、脳内の半分が睡眠状態になっているような感覚になる。すると、勉強ができるのは、お昼過ぎから夕方までの時間帯に限られてしまう。もっと勉強したいのに。自分の欲求に脳みそが追い付いてくれないのがもどかしい。

焦る必要はないと自分に言い聞かせるけど、やりたいことができないこのもどかしさは焦らせる原因になる。早く元気になりたい。完全復活まで、もう少し。だといいな。