ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

カレー作りは、わたしを無心にさせる

にんにくと生姜を切り刻む。普段の数倍の量を無心で切る。ボウルに入れる。

冷蔵庫に眠っていたトマトをざく切りにする。まな板が真っ赤になる。ボウルに入れる。赤く染まったまな板を軽く洗う。

玉ねぎを切る。大きめのみじん切り。目が痛くなる。油をたくさん入れた鍋に一目散に投入する。続いてボウルに入れたにんにく、生姜、トマトを無秩序に投下。

精肉店で買ってきた鶏ひき肉をガバっと、鍋にすべて入れる。中火で炒めながらスパイスを用意する。

ターメリック10cc、カイエンペッパー3cc、ガラムマサラ3cc、そして新入りのパプリカパウダー20cc。塩10cc。ベイリーフ2枚。ベイリーフって、ポケモンベイリーフと関係あるのかなと思いつつ、スパイスを混ぜる。量は数字で記載してるけど、実際のところ適当だ。そのまま鍋に投下する。

無心で炒める。へらで混ぜていると段々水分が出てくる。水がたくさんになって、それがいつのまにか蒸発していく。水気が無くなったら水を700ccほど追加。中火で15分ほど炒めたら完成。

 

材料をワーッと切って、スパイスをワーッと混ぜて、そのままグツグツやっていればすぐにできるキーマカレー。初めてのレシピだったが、出来は上々だ。

前日に作っておいたキャベツのマリネ的なものと大豆を煮たやつと一緒に食べた。お手軽ワンプレートご飯。夜に炭水化物を摂取することに罪悪感を感じたから、小さなスプーンでゆっくり食べた。

 

仲の良い友人と繋がっているTwitterで、新しく学んだことを呟く。思ってもない友人からリアクションが来てすごく嬉しい気持ちになる。すだちの呟き、面白く読んでるよ、と言ってもらった。

ただただ、自分の思考整理のために垂れ流しているだけのTwitterだけど、それが誰かの役に立ったり、面白さを提供できているのならば、それはとても嬉しい。

あなたとわたしの共通言語

起床。前日に作っておいた朝食をレンジで温める。ニュースを見ながらもそもそと食べて、洗濯物を干す。何日ぶりか分からない化粧をする。食器をシンクに放置した状態で、家を出る。

電車に乗る。ヘッドホンでは英語のリスニング。車窓が変わっていく。山や川が少しずつ住宅やビルに変化していく。

 

久しぶりの雑踏に紛れる。n=∞の世界。n=1が普段の生活であるならば、都会の雑踏はn=∞だと思う。ふと、自分が何者でもない、何者でもある必要のない世界に、安心を覚える。

ガラガラの喫茶店で仕事を進め、散歩をしてお昼を食べる。初めて入るランチのお店。飛び込んだ洋食屋さんは控えめに言って最高だった。久しぶりの外食。カウンター席でひとりでゆっくり食べるチキンソテーの幸せたるや。サラダ、スープが順番に出てくる。サラダのキュウリの皮が素敵な感じになっている。レタスもちゃんとそのお店で購入してカットされたものだと分かる提供のされ方。トマトクリームスープ。具がごろごろ入っていて、びっくりするほどおいしかった。そのあと出てきたのは、デミグラスソースがたっぷりかかったチキンソテー。丁寧にした処理されているインゲンと、人参、さつまいものグラッセ。皮がパリパリに焼かれている。デミグラスソースの中にはみじん切りにした玉ねぎがたくさん。

ご飯の量はどうしますか、と聞いてくれたスタッフの方が素敵だった。様々な葛藤が頭の中を駆け巡り「少な目で」と答える。あまりにも日常に会話が無くて、お店の人と交わすほんの一言が自分を満たしていく。

 

成果物を見てもらう打ち合わせ。日常生活の中で、今自分がやっていることの話をできる人がいない。今までの交友関係の中にはひとりも。ようやく見つけた共通言語を持つ相手。1時間弱の打ち合わせだったけど、それでも、その世界の言葉を使って会話ができることは何事にも代えがたい喜びを感じる。仲間になれるかな。まだ足を踏み入れただけだけど、このまま新しい世界へ没入していきたいと、今は強く思う。

 

帰りに焼き鳥を買った。4品ほど作り置きを作って、恋人の帰りを待つ。

はじめてのお店で購入した焼き鳥はとてもおいしかった。居酒屋にも、もう一年近く行っていない。久しぶりに食べた、スーパーの総菜ではない、専門店の焼き鳥。

500mlのロング缶の発泡酒を二人で分け合う。ささやかな幸せが積みあがっていく。

 

私がブログを書いている隣で、恋人は勉強をしている。平日夜のなんてことのない時間の過ごし方。誰かがそばにいる環境で文章を書くのは慣れていないけれど、少しずつ慣れていくのかもしれない。

 

もうすぐ春ですか

1年ぶりに自転車に乗ろうと思って、ハンドルについていた蜘蛛の巣を取り除いた。ビニール手袋とペットボトルに入れた水。主は不在だった。

数冊の本を自転車のかごに入れ、出発しようとしたら、予想通りタイヤの空気がすっかり抜けていた。空気入れは持っていない。

3分後に出発するバスに間に合うかなと思案しながら家を出る。定刻を5分過ぎてバス停に着く。もちろん間に合わなかった。1時間バスを待ち続けるのはアホらしいと思い、歩いて目的地へ向かう。

 

道中にいるのは、車か自転車のみ。歩いている人間はほとんどいない。なんとなくこっちの方向だろうと目星を付けながらずんずん歩く。本が重い。リュックが肩からずり下がる。

 

目的地に着く。ソーシャルディスタンス。2席に1人しか座れないようになっている。他人との距離が気になる自分にとって好都合。

窓際の席を確保して、勉強をはじめる。まずは英語。となりの高校生がボロボロになったシステム英単語を見ている。英文を声に出して読むわけにはいかない。でも。口パクで読むことは可能だ。ありがとうマスク。マスクのおかげで、周りから変な目で見られなくて済む。

専門科目。新しい概念に、数冊の参考書とスマホを武器にして挑んでいく気持ち。知らない事柄が1つ減るごとに、RPGで敵を倒したかのような気持ちになる。一緒に勉強してくれる人はいない。ひとりだけど、参考書とインターネットが友達になってくれる。

 

暖かい日だった。近くのスーパーでハンバーグ弁当を買う。公園で食べようと思ったが、想像以上にリア充の巣窟だった。賑わっていた。ベンチもほぼ全て埋まっていたので、退散。

建物の中に戻って、弁当を食べる。若者が元気なのはいいことだ、なんて思いながら。ひとり黙食。時折耳に入ってくる高校生の会話が新鮮だ。

 

もうひと勉強。肩が凝る。1時間に1本のバスを狙って帰宅する。ボトルガムを買う。

なんだかとても疲れてしまった。夕食のメニューを考える気力がない。頑張りすぎたか、それともPMSの症状か。うたた寝の中で、さっき勉強した内容が反芻してやってくる。いいぞ、もっと思い出すんだ、脳内へ定着してくれ、なんて夢の中でも考える。

あっという間に2時間が経過した。

2020年の奮闘記

ご無沙汰してます。すだちです。

夏に更新してから数か月ブログの世界にいませんでした。別の世界へ飛んでいたというか、わたしの中の「すだち」という人格に寄り添う時間が減っていたというか。

何か深刻なことがあったわけではないけれど、人生のひとつの節目のようなものなのかも。近づいたり、少し遠くに出かけてみたり。とにかく「すだち」として文章に向き合ったり、何かを表現することから離れていました。そして、この総括をしてからはまたしばらく、どこかに飛んでいくかもしれません。Twitterには浮上してると思うけど。

 

文章をブログに書くというのは、一種のカタルシス効果があるのかもしれないなと、ふと思い当たりました。ブログの更新が多いときは、それだけなにかを外に発したい時期なのだろうし、ブログを書く気にならない時は自分の充電期間であるのかもしれないし。

とはいえ、久しぶりにはてなにログインして、ブログを書く行為自体はすごく楽しいので、またすぐに戻ってくるかも。

 

大変な1年でしたね、静かだけど大変で、きっと年を重ねた後も「あの2020年」というカタチで記憶に残る1年だと思います。

よかったことを少しだけ。

自炊技術が上がりました。とはいえ自分の理想にはまだ全然届かないけれど。去年は自炊メニューすら決定できずにフリーズしていた瞬間が多かったのに対し、メニューを決めて、自炊をし、それなりの作り置きまでこなせるようになりました。来年は、副菜のレパートリーを増やしたい、あと映える食器が欲しい。今は出来合のおまけとかでもらった食器ばっかりなので、せっかくおいしい料理を作っても全然映えないのです。食器の見た目も、ごはんの美味しさに直結してくるよね。

 

独力で新しいことを身に付ける能力が少し上がりました。

何をしているかは、まだあまり言えないので伏せているけれど、1,2年後には堂々としていられるようになりたいですね。人との接触がとにかく減ったので、人に聞く、ということがあまりできないけれど、そんな中でもインターネットとか本を使って新しいことを学ぶ、それを自分にインプットしていくという過程をひとりでこなせたのはそれなりの自信になったかなぁ。

 

来年はもっといい年になりますように。今年もお疲れ様でした。

遠距離キャリア形成

無理of無理な課題すぎる。というか、就職後の勤務先がまずガチャすぎて、私たちの場合は片道6時間オーバーの場所に引き離された結果、社会人になってもうずいぶんと年月が経過してしまった。変わらず仲良くやっているけれど、一緒になろうとなった場合、絶対にお互いのなにかを犠牲にしなければならない。なにも犠牲にしなくて済むような、運良くパートナーがわたしのいる土地配属になるような、そんな理想論はとっくの昔に捨てた。
いろいろな転機があって、わたし自身にも決断しなければならないことが迫っていたり、でも変わらずパートナーは優しいから「後悔しない選択を、自分で決定してね」と言ってくれている。


さよならの前夜はいつだって寂しい。
一度バイバイすると、決定的に離れてしまう距離に対するダメージは、一緒の時間が増えれば増えるだけ反動が大きくなっている気がする。
となりでいびきをかきながら気持ちよさそうに眠っているパートナーの横顔を見ながら考える。この生活を続けたい。だけど、パートナーの土地でキャリアを重ねられるのかと言われたら否だ。わたしのやりたい仕事がある場所までは、片道2時間近くかかるだろう。そんな生活に耐えられるのか。否、また身体を壊すリスクと隣り合わせだ。専業主婦になる道は、あまりにも自分の描いているものが違う。いつ転勤に振り回されるかも分からない。自分がパートナーを養えるまでの経済力を付けるにはまだ当分時間がかかるだろう。


父親が転勤族で、母親が専業主婦として家庭を守る、というのは全国転勤を余儀なくされる家族にとって当たり前の生活スタイルだったのだろう。でもそれは一昔前の話で、昔よりも貧しくなっているこの時代、共働き前提でお金や家族の計画を立てたい。片方だけに金銭的な負担がかかるのはリスクの高い生活スタイルだとわたしは思う。もちろん、これは個人的に考えていることであり、いろんな生活スタイルを形成する人がいるのは承知の上。だって個人個人で事情は違うから。


自分のキャリアも、パートナーとの生活も諦めたくない。同じ家で暮らしたいし、やりたい仕事をしたい。子育てだってしたい。どうしたものか。頼れる親戚も友人もいない土地で、果たして子育てなんてできるのだろうか。落とし所は自分で考えるしかない。