ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

最近のこと(2020.5)

先日(5月25日)、緊急事態宣言が解除されましたね。これからゆるやかに生活が元通りになっていくのかなと思いつつ、しばらく生活スタイルは変わらずに過ごすことになりそうです。
個人的には自粛生活、快適だったな~という感想を持っています。不便な点ももちろんあるけど。第二波、第三波がきたらすぐに対応できるようにしておく必要はありそうな。
 

アイスティーブームの到来

自分の中でアイスティー旋風が巻き起こってます。氷をたっぷり入れたグラスに、濃い目に出した紅茶を注ぐときの幸せ感と言ったら!
コースターの上に載せれば、グラスが濡れても気にならないし。お酒や嗜好品を割と控えた生活をしてるので、その分のお金で美味しい紅茶が買いたいなという気持ちです。
おススメの紅茶があったら教えてください…!ちなみにミルクは入れずにストレート派です。(牛乳苦手なので…)
 

プロテインデビュー

恋人に勧められ、プロテインを購入してみることに。でも飲めるか分かんないなって状態です。甘い飲み物苦手だし、牛乳も苦手だし。。
とりあえず1回分だけ買ってきてみた!美味しく飲めたら筋トレと一緒に組み合わせて使っていきたいなと思ったり。
プロテインバーとかも気になってます。
 

腹筋、背筋、ダンス、ヨガ

毎日適当にYouTubeで検索して、筋トレやらダンスやらヨガやらをやっているのですが、昨日やった腹筋のトレーニングがキツすぎました。全然できない…
5分間のサーキットトレーニングなんだけど、これがかっこよくできるようになったら、文字通りカッコいい身体になるのかな、なんて思ったり。
ヨガマットを常に敷いておける空間を作ったので、快適に運動ができるようになりました。いいね~
 

最近の低気圧

一時と比較すると、低気圧による頭痛はずいぶん緩和されています。痛み止め使う頻度もものすごく減った!お守りとして常備しておくだけでも気持ちが軽くなるなと。
気持ちの落ち込みややる気の低下、活力減みたいなのはまだ継続して続いてるな~という感じです。つらさは幾分かは減ったけど。
自分のパターンを記録してるうちに、気圧が減少する直前くらいのタイミングが一番つらくなりがちなことに気が付きました。逆に思いっきり下がり始めちゃうと楽になったりする。
時と場合によって違うんだろうけど、パターンがある程度理解できてるだけで気持ちは楽。
 

図書館と本屋に行きたい

とりあえず本不足…専門書を選びたいので、本がたくさん置いてある空間に行きたいです。
大規模本屋ももう少ししたら行くまでのハードルが下がってくれるかな、どうだろう。図書館も再開の動きがあるので、嬉しい。
 

いつ解禁?

遠距離中の恋人といつになったら会えるんでしょう。会いに行ってもいいんでしょうか。
もちろん県を越えて、新幹線か飛行機は絶対利用しないと行けない場所。6月になったら県越えも緩和の予定…とあるけど、どうなんだろう。
自分の都合だけで周りの人に迷惑かけたくない気持ちが大きいので、慎重に判断しないとなと思ってます。
絶対に会えない、って状況だと諦めがつくけど、段々自粛が緩和されてきてる今の感じだと逆にものすごくもどかしい。
試しにいつも使ってる飛行機調べてみたら、減便しまくっててちょっぴり悲しくなりました。路線自体が止まっちゃったらものすごーく困るので、応援したいのだけど…
 

ペット飼いたい

ペット飼いたいよぉぉおおおおお。昨日2時間以上調べてました。ワンちゃんネコちゃんウサギさん‥‥
ペット飼いたいよぉぉおおおおおおおおおおおおおお。もふもふしたい、お世話したい。
 
以上です。

新生活で整えたいもの

自分用の忘備録を兼ねて。部屋に置くモノたちを充実させると幸福度が増す。

けど、生活スタイルによっては寝に帰るだけの可能性もあるので、そこは柔軟に。寝るだけなら最低限の装備で良し。家で過ごす時間が長いなら、部屋のインテリアやグッズに少しだけ気を使ってみると、幸福度アップの予感。

 

・物は見えない所に収納する。(ちゃんと場所を決める)

・本棚がすぐにいっぱいになるなら、文庫本は100均の収納ボックスへ。

・メイク道具入れの上に布をかける。

・作業する時に目に入る場所にはよけいなものを置かない。

・むやみにラグを敷かない。

・できたらコタツも置かない。

 

・コースターの上にコップを載せるとテンションが上がる。旅先などでコースターを集める。

・素敵なお皿を集める。今は出来合いの適当なお皿。素敵なお皿に載せるだけでご飯のテンションが上がる。

・酒器。マグカップ

・美味しい紅茶を常備する。

 

・ヨガマットを日常的に敷いておいて、すぐにトレーニングできるスペースを整える。

・寝る前30分は間接照明だけの空間に。

・お金があれば寝具もいいやつ買う。

・気に入ったアロマを常備する。

 

・カーテンの統一。可能ならグリーン系もしくは明るめの色。遮光機能付き。

・一日家にいることが多いなら、日当たりは大事。

・観葉植物もしくは何か育てる。ハーブとかバジル育てたい。緑が目に入るのは大事な癒し。

 

・カバンの収納場所を決める。放置しない。

 

・ルンバが欲しい。髪の毛とホコリ掃除してほしい。

・食洗器。食器洗いは一番嫌いな家事。

・乾燥機能付き洗濯機。夢…

 

・いつかペットをお迎えしたいなぁ。ネコ、イヌ、ウサギ、ハリネズミ

日常で暮らす

課題をやる途中、文献に集中しているとPCのデスクトップ画面がスクリーンセーバーに切り替わる。流れてくるのは、昔の写真たち。ふと目の前の写真を見始めると、止まらなくなってしまう。

映し出される写真の90%以上がいわゆる「密」の状態だ。三密状態である光景も珍しくない。でも、「密」の中に写っている友人たちはみんな笑顔で、心の底からその場を楽しんでいることが分かる。

 

この期間に得たものもたくさんある。

遠方に住んでいる友人ともテレビ電話でコミュニケーションが取れること、部屋の居心地をよくすること、目に入るモノを減らすと集中力がずっと上がること、家の居心地と言うのはストレスの増減に大きく関わっていること、引きこもっていてもそこまでストレスが大きくないこと(内向性の高さのおかげか)、ネットに弱い両親も追い込まれればテレビ電話などに手を出し活用できるようになっていくこと(最初に面倒を見るのがすごくめんどくさいけど)、でも祖父母の世代になるとインターネットと縁がないとコミュニケーション手段は電話や手紙だけになってしまうこと、すぐに会えない環境でいきなりインターネットを使うことはハードルが高すぎて不可能なこと、ネットを介して顔が見える環境を整えておくだけでもストレスの軽減効果があるだろうこと。

そして、きっと、次に会えた時はとても嬉しいだろうこと。同居している家族としか顔を合わせない生活をして2か月近くが経つけれど、祖父母や友人や恋人に再会して、おしゃべりしたりビールジョッキで乾杯するときに、普段以上の喜びを感じることができるだろう。

遠出ができるようになったら、旅行に行けるようになったら、いつもの散歩コース以外の風景を見ることができるようになったら、どれだけ嬉しいだろう。

小笠原に行きたい。北海道に行きたい。九州に行きたい。温泉に入って、湯上りにビールを飲んで、日本酒飲みながらまったりしたい。旅先で地元の居酒屋をはしごして、いつもより贅沢に土地の幸を楽しみたい。特急電車に乗って、流れゆく景色をぼーっとみる時間を味わいたい。飛行機を降りた瞬間に「違った土地」である匂いや音を感じながら深呼吸をしたい。フェリーに乗って、周りを航海する船舶や島々、鳥を見ながら望遠レンズで追いかけたい。家に帰った後に、「結局全部整理しきれないんだよな」とめんどくささを感じながら、撮影した写真をHDDに写す作業がしたい。

 

シャッフル再生で東京事変群青日和が流れる。「新宿は豪雨~」のメロディを聞くと、大学生のときに友人たちと首都高をドライブしたときの光景が浮かんでくる。

徹夜ドライブはもう体力的に厳しいけど、ちょっと遠いレンタカー屋までみんなで歩いて行って、車を借りて、遠くのラーメン屋を目指してドライブをした、あんなことがまたできたらいい。

 

気に入っているいつもの散歩コースは、今まであまり歩いたことのない道だ。坂を上って、畑の中を歩く。こんな時期でも関係なく、農家の人は毎日働いている。車1台が通るのがやっとの幅員の道路には、トラクターから落ちたであろう、新鮮な土の塊が至るところに散らばっている。夫婦や親子で犬を散歩させたり、ジョギングをしたり、普段全く気にもしない人々の「日常」に目が行く。

ポピーが咲いた、ネギが大きくなった、サニーレタスがみずみずしくて美味しそう、あそこの雑草が刈り取られてる、いつもいる犬が今日はお留守、あそこの土を耕した、じゃがいもが大きくなってきた、もう少ししたら元気に実るトマトやナスが見れるかな、などという、毎日野原を駆け回っていた小学生の頃に考えていたことを、再び考える。考えるというか、感じるようになった。

ずっと遠くに見えるタワーマンション。道路の向こう側から聞こえる電車や車の音。

近くの林の木々がそよぐ音。隣の家の風鈴の音。深呼吸。

 

忙しすぎた日常では絶対に気づくことのなかったこれらのこと。小さなころは大切にしていたはずなのに。

将来の生き方の希望がまたひとつ増えた。この非日常の中で再認識した日常を、忘れないようにしたい。

「ある」を感じる

大学生活で交流のある女友達はどんなに多く見積もっても7~8人だった。

時間を持て余したり、遊んだり、かと思ったらありえないくらい忙しくなったりして、大学生活はまるで緩急の激しいジェットコースターの様だったなと思う。

忙しさとストレスがピークだったとある時期、私の周りにいる女友達全員に恋人がいて、わたしには恋人がいなかった。そして、貴重なオフの日に、ひとりでぼーっとしながら考えていた。

「みんな恋人と過ごしてるんだろうな」と。

 

当時のわたしは若かった。

自分に降りかかってくる多くの課題を「わたしはひとりでこなしているんだ、どうせひとりぼっちだ」と思いこみ、恋人がいる友人たちには「でもどうせ恋人がいるから話聞いてもらえるんでしょ、なにがあっても味方でいてくれるもんね、いいな」なんて心の深い所で思うことがあった。

口にも態度にも絶対出さなかったし、普段は考えないようにしていたし、そんな思考を認めないようにしていたけれど、心の深い所では何度でも思っていたように思う。

 

所属していた組織ではそこそこ責任の強い役職に就いていて、理不尽に外の大人に怒られることもあった。部下の責任を上司が取る、みたいな構図だ。(大学生の組織なので、社会人ほど大変ではなかったし、しょせん遊びだろと言われたらそれまでだけど)

本番の直前、忙しさがピークだったころ、自分の力ではどうすることもできないことで、大人にひどく叱責されたことがある。自分の力が足りないのが悔しくて、でももう自分にもチームにも対処する力も能力も時間も残っていなくて、佳境に立たされた。

先方の指示から、チームの代表としてその大人に会うことが許されていたのはわたしだけだったので、チームの作った案をその大人に許可してもらうために何度もひとりで通っていた。

すぐにチームのみんながいる場所に戻って結果報告をしなければならなかったのに、戻ることが出来なくて、女子トイレでひとりで泣いた。人の前で泣くことも、だれかにSOSを求めることも、当時のわたしはできなかった。ひとりで抱えて、静かに悔し涙を流すことしかできなかった。

チームのみんながいる場所に戻って、なんて言えばいいだろう、どう話せばいいだろう、わたしだけの責任じゃないって思っていたけれど、こんなとき、恋人がいれば、話を聞いてもらえるんだろうな、なんてことも頭を過っていた。最後のほうは、恋人がいない自分に対してに理不尽に怒って泣いていた。

 

本来チームの場所へ戻るべき時間を1時間近く過ぎたころ、ようやく落ち着いて、いつもの居場所へと戻った。10分後には次の会議の予定が入っていて、ぎりぎりだった。

「やっと戻ってきた~心配してたよ、また絞られたの?大丈夫?」と声をかけてくれたチームの一員の言葉は今でも胸に残っている。

良くも悪くも自由奔放なメンバーが揃ったチームだったので、どうせわたしが戻ってないことに気づいてるメンバーなんていないだろう、と思ったりしていた。

いつものモードに切り替えたわたしは「また絞られたよ!全くもう!ほら!修正するよ!」とチームでの話し合いを再開した。

 

***

 

今でも、よっぽど心を許せている人の前でしか泣くことができないわたしは、ひとりで悲しい気持ちや涙を処理することが多い。

でも、昔と比べて涙の頻度もずっと減ったし、少なくとも他人と比べて悲しくなったり悔しくなって、心をかき乱されることは、無くなったように思う。ゼロではないけど、落ち込む前に「他人と比べてもしょうがないんだから」とブレーキをかけられるようになった。

大学生の頃はクリスマスや誕生日を、みんな恋人と一緒に過ごしていて、各イベントがちっとも楽しみじゃなかった記憶がある。SNSを通してリアルな写真が見えてしまうことも遠因だろう。今考えるとひどく歪んだ思考だと思う。けど、そうやって感じていた自分さえも受け止めてあげることが、自分を認めるうえでは大事だ。

 

自分と他人との境界線が確固としたものとなってきたのもこの時期だったのかもしれない。

他人と比べてもしょうがない、自分は自分、他人は他人、他人が持っているものを羨ましく思う暇があるなら、自分を豊かにすることを考えよう、と。

捉え方によってはひどく冷たい人間に感じられるかもしれない。でもこれがわたしの辿ってきた軌跡で、これからもこういう小さなものを積み上げて成長していきたい。

 

リモート・バースデー

恋人の誕生日だった。もちろん恋人が生活しているのは数百キロ先で、こんな情勢下では会えるはずがなかった。

どのみち社会人の遠距離恋愛、誕生日や記念日の当日に何かできるなんて最初から期待していないし、それは今年になっても変わっていない。

プレゼントを買いに行くこともできず、ネットで何かを買って送ろうという気にもならず、次に会える時までお預けだな、ということに(勝手に)した。数か月前にあったわたしの誕生日の時すら会えてないし、この先もしばらく会えないんだろなと思っている。

自分の恋愛事情について、遠距離が始まったあたりからはすっかり他人と比べなくなった。他人と比べなければ、しんどくならない。

「遠距離って大変だよね」「会えないの寂しいよね」とよく言われるけれど、自分では遠距離による障害が大きい悲しみになるとか、ストレスになる、みたいな風には思っていない。元々の性格もあるのだろうけど。

でもやっぱり、こういう状況になると、一緒に住んでるのっていいなぁと思う。

おはようとおやすみの挨拶が毎日できるなんて、そんなに幸せなことはないんじゃないかと思う。これもないものねだりなのかもしれないけど。

 

一度だけ、恋人とふたりでzoom飲みをした。なんだかわたしは照れてしまって、上手く話せなかった。共通の友人を交えたzoom飲みなら、普通に話せるのに。

ふたりで話すなら、顔が見えない普通の電話くらいがちょうどいいなと思った。それか、直接会って話すか。もちろん会えるのが一番いいのだけど。

 

来年は、当日にお祝いしようなんて我儘は言わないから、せめて記念日が近い休日に、一緒に過ごせるような日常が戻ってきているといいなと思う。

もともと記念日にあまりこだわりのないふたりだけど、ささやかにお祝いできるくらいの日常が隣にあるといいな、とわたしは願っている。