ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

ホルモンを焼く

ホルモンを焼いた。いつも行くスーパーの精肉店のショーケースの右端にあるホルモンコーナー。部位は忘れたけど、ホルモンの何かしらを300g注文した。タレは付けますか、と聞かれた。慣れていない自分は、少し挙動不審になりながら「じゃぁ塩ダレをお願いします…」と伝える。いや、味噌だろ、味噌ダレにすべきだっただろと、3秒後にもう一人の自分が抗議をはじめた。

帰宅して、野菜を切る。玉ねぎ、ピーマン、しめじ。もやしを洗って準備完了。どれも冷蔵庫に残ってた野菜たち。

玉ねぎに軽く火を通して、タレに浸かったホルモンを一気に投入する。しめじとピーマンを入れて、最後にもやしを加えて終わり。簡単なホルモン炒め。塩風味。仕上げにねぎを散らす。

焼き肉で単体で食べるホルモンより、下手したら美味しいんじゃないかってレベルで美味しかった。野菜がホルモンの油っぽさを中和してくれる。胃に優しい。ありがたい。

自分の中のレシピが一つ増えた。月1くらい?いや、2,3か月に一度くらいでいいからたまに贅沢したいときに食べたいメニューにランクインした。次は味噌ダレで挑戦したい。

友人関係への水やり

疲れたので息抜きにブログでも、と思って書いてみる。

最近はバタバタがひと段落して、自分の時間が比較的多く取れる期間に入ったんだけど、やっぱり時間の使い方が難しい。

ブログ関係でもやりたいことがたくさんあるんだけど、全然実行に移せてなくて、自己嫌悪に陥るんだよね~ブログの時間を予め一週間のスケジュールを立てる時に、予定に組み込んだ方がいいんだろうな。

あと、ほかの人のブログをスマホアプリ経由で読みにいったとき、全然スターが付けられないの。なんでだろ。ここ数か月ずっと続いてるんだけど、原因も分からず(調べようともせず)放置してる。

 

友達と電話で話をするのがここ最近の楽しみ。1,2か月に1回のペースだけど、週末とかに電話の楽しみがあるのって、結構モチベーションになる。会いたいけど、住んでる所が遠すぎて全然会えない。友達に会うためだけに、新幹線に乗りたい。贅沢な時間とお金の使い方。でも、なかなか会えない大切な友達に会いに行く過程も大事にしたいと思う。

「親友関係に定期的な水やりを」という言葉を聞いた。耳にしてからだいぶ時間は経ったけど、事あるごとに思い出す。もうみんな大人でそれぞれの生活がある。だから頻度は減るけど、たまに連絡したり、会ったりできたらいいなと思う。

年に1度、大学のサークルの同期で集まっている恒例行事があるんだけど、今年は無理かなぁ。結婚報告ラッシュがLINEで続いているから、お祝いがてらみんなに会いたい。くう~コロナめ。緊急事態宣言解除されて、行動制限緩和されないかな。早くインフル並みの扱いになってくれないかな。

あなたと私の境界線

他人に自分の考えを押し付けることをしてはいけない。自分は○○だと思う、だからあなたも私の考え通りに行動するべきだ、と一方的に押し付けるのは一種の暴力である。

日々を過ごしていると、自分と他人の境界線が曖昧になっている人に出会うことがある。外では境界線が明確に守れるのに、身内になった途端、突然境界が曖昧になってしまうという話は、よく聞く。インターネットを観察していても、頻繁に見かける。(インターネットは往々にして、他人に対して境界を踏み越えやすい場所だと思う)

母と娘の関係において、特に結婚や同棲前後に葛藤を抱えるという話は、様々な友人たちから聞いてきた。みな、それぞれ母娘の関係性は違うけれど、どこかしらで何かしらが発生している。

とある友人と「母親は自分が○○だったから、自分の娘も○○であるのが当然だって考えてるんだよね。悪気はないのかもしれないけど、母親と私は違う人間だし、価値観だって違う」という話をした。

自分に子どもはいない。でも、もし自分に子どもができて母となったら、そして特に同性だったら、自分自身を子どもに投影するのは心の営みとして自然なのかもしれない。

 

とはいえ、私と子どもは違う生き物だし、パートナーだって違う生き物だ。別の人間。ひとりひとりが独立した人間。

わたしも自分で気づかないうちに、自分の考えを他人に押し付けていることがあるかもしれない。私はこう思ってるよ、あなたはどう思ってるの、そうなんだ、ふたりともハッピーになるためにはどうしたらいいかな、ときちんと話せる人間になりたい。

自覚症状はあまりないのだけど、親しい人たちからは「すだちは頑固だ」と言われるので、そういうことなのだろう。意志が強いと言ってほしいもんだ。意志が強いから、わたしのことはわたしで決めたい。わたしのことはわたしが決める。誰の人生でもない。でも、他の人に対する境界は、きっちりと守りたいと思う。

手紙を書く

ちょっと大きな変化があった。変化があると別れがある。別れたら、誰かと出会う。

変化に伴って、お世話になった人に挨拶をする必要が出てきた。直接会えれば、口頭で挨拶すればいいのだけれど、残念ながらコロナ禍のせいで、それは無理。ならば、対面以外の方法で。LINE、メール、手紙で、挨拶をすることにした。

 

ひとりひとりを想いながら世話になったお礼を書いていく。すぱっと人間関係を切ってしまうのであれば、短文で済ませたり、究極は連絡せずにそっと去る、ということでもいいのであろう。

たが、今回の変化に関わる人間関係からは、得たものがあまりにも多かった。きちんとお礼をしたくて、文章を書くことにした。

コピペでもいいのかもしれない、こちらから文章をしたためる事は、ただの自己満足なのかもしれない。とはいえ、きちんと気持ちを伝えたい人に対しては、気持ちを込めて文章を書いた。

 

下書きを書いて推敲し、手書きで便箋に気持ちを載せる。特に世話になった度合いが大きい人に対しては、何度も何度も推敲を重ねた。

読み返すたびに、この表現は失礼かな、もっと言えることあるんじゃないかな、と数年前の記憶を引っ張り出しながら考える。

気持ちを込めた文章を書くという行為には、時間がかかる。内容が濃くなるだけ、人数が増えるだけ、時間がかかる。

 

在宅で過ごす時間が増えてから、日々のメールのやり取りにもかなり膨大な時間とエネルギーが必要だったと感じるようになった。

出社していたころは、メールにかける時間はあまり意識していなかったのに。なんでだろう。

在宅の方が、時間の使い方に厳しくなったような気がする。この作業、無駄じゃない?1時間もかける価値ある?なんて思ったり。そう考えると、職場では惰性でやっていた仕事も多かったのかもしれない。

 

あと少しで、すべての整理が終わる。整理が終わったら、新しい長編のエッセイを書こうと思っている。

これは私のストーリー。このブログも、私のストーリーの一部。

 

一日に書ける文章量には限界があることに気が付いた。内容にもよるけど、5000文字とか書くとかなり消耗する。

書くトレーニングを積み上げながら、これからも書くマラソンを走り続けたい。

継続の力

人に会わない自粛生活をしていると、めったに笑わない。特に声を出してゲラゲラと、腹の底から笑うことは、ほぼない。

 

何年も昔から好きなゲーム実況者がいる。彼のゲームセンスと、言葉選びの巧みさ*1は見事に自分の心を撃ち抜いている。世界一楽しそうにゲームで遊んでおり、彼以上にゲームを楽しんでいる人間はこの世にいないんじゃないかと思うほどだ。

 

YouTubeのゲーム実況が今ほどメジャーじゃない頃から彼は活動していて、先日〇周年記念の配信があった。長時間だったが、予め都合をつけて予定を開け、1日中配信を楽しんだ。

その中で、昔の動画を見返す、という企画があった。彼が活動はじめたての頃、若かった時代の動画を見ていると、今とまるでスタイルが違っていて、闇落ちしたり迷走したり、(彼曰く)方向性を間違えている動画がたくさんあった。そんな動画に突っ込む彼と視聴者のコメントが秀逸すぎて、本当に面白かった。(視聴者の中にハイセンスな言葉選びをする人が数人混ざっている。*2

自分のお気に入りの動画も出てきたし、知らない動画もあった。なにが、とか、どのように面白かったのか、と問われると言葉で説明するのは本当に難しいのだが、久しぶりにお腹が痛くなるまでゲラゲラと笑った。ずっと使われていなかった口角が上がり、こんなところに筋肉があったのかと少し驚いた。

 

彼の変遷を振り返った時に、「最初からすべてがうまくいくなんてことはないんだな」と改めて思った。今はたくさんのファンがいて、各動画の再生数やコメント数もかなり多い。

でも、最初から圧倒的な人気があったわけじゃない。下積み時代の配信映像は、同時視聴者数3,コメント数0だった(今の規模からするとこの数字はあり得ない)。今見てもめちゃくちゃ面白いのに。衝撃的だった。*3

この映像を見たときに、なんだか胸がいっぱいになってしまった。言葉ではうまく表せないのだけど、自分がこのブログをはじめた当初、毎日アクセス数が0だった時とか、新しいことに挑戦して努力してもなかなかうまくいかない瞬間に見事に重なった。

頑張って努力しているけど、なかなか実が実らない時期。誰にでもある。他人には成功した一面しか見えないけど、その成功の裏には誰も知らない努力が隠されている。そんな当たり前のことに、改めて気づかされた。

 

「継続は力なり」という言葉の重みを再確認する。〇周年という期間はそう容易く達成できる期間ではない。同じことに挑戦しようとした人はたくさんいるだろう。挑戦してみた人もそれなりにはいるだろう。でも、継続できる人はどれだけいるだろうか。継続することは難しい。特にひとりで活動していたら、しかもそれが趣味だったら、自分の意志で簡単にやめることができる。もちろん楽しんでいるから続けられる、というのもあるのだろうけど。だとしても〇周年はすごい。

 

自分のブログも先日5周年を迎えた。5年間の継続。毎日更新しているわけではないけど、数字として積み重なっていくことは、自信につながる。時は遡れない。積み上げることしかできない。インターネットの上に残していると、自分の足跡を見返すことができるのがいい。

 

恐らくだが、彼が実況をはじめたタイミングと、自分がブログをはじめたタイミングの年齢と時期が、人生の節目上重なっているような気がしている。なんとなく、そんな点に嬉しさを感じたりもしている。*4

 

インターネットの世界は不思議だ。不安定で、不確実で、アカウントをポンと消してしまえば、自分は動画を見ることができなくなる。それでも、毎日寝る前のお供として、元気がないときにエネルギーを分けてくれる存在として、画面の向こう側に存在してくれていたらいいなと思う。

 

自分は今、新しいことに挑戦している。努力はしているが、結果が出るまでまだ時間がかかりそうだ。でも、きっと無駄ではない。最初からうまくいくことなんてない。

すぐには実らないかもしれないが、少しずつ積み重ねて、いつか笑って誰かに報告できたらいいなと、配信を見ながらお腹を抱えて爆笑した後、布団に入りながらしみじみと思った。*5

 

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*1:結局のところ自分が人に強烈に惹かれるポイントって、言葉選びのセンスなのかもしれない

*2:類は友を呼ぶのかもしれない

*3:とはいえ、彼が実況そのものを楽しんでいることは、画面越しでよく伝わってきた。好きなことをしてる時が人間一番輝いてるよね

*4:こんなことを言っているとキモい視聴者だと思われてしまう

*5:久しぶりに爆笑したので謎の疲労がすごかった。だがそれでいい