ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

ブログを開設して5周年が経ちました

タイトルの通りですが、ブログを開設して5周年が経ちました。はやいものです。

大学生の時、下宿先でふと思い立って開設したこのブログ。更新頻度のむらは大きいですが、とはいえ5年も継続できたなんてすごすぎ。ちょっとびっくりです。

明日からはてなブログ6年生になります。もうすぐ小学校卒業しちゃうよ~

 

大学生の頃を思い出していました。あの頃思い描いていた未来とはまるで違う道を歩いています。あの頃は、自分の希望する進路へ進めるか怪しくてとても葛藤していたな。数年経った今でも、また別のことで悩んで、つまずいて、必死に考えて、また軌道修正、という似たようなことをやっている気がします。

 

人生を振り返って、数年周期で移動を続ける人間なんだなと思ったりしています。転校などもあったせいか、同じコミュニティに4年以上属した経験がありません。生まれてからずっと同じ場所にいる人の話を聞くと、価値観の違いにびっくりしたりします。幼馴染がいるのとか羨ましい。でも、わたしは、それくらいの周期で環境を変えてもいいのかもしれないな、とか。

 

文章を書くのがこの5年で上達したかなぁ。してるといいなぁ。自分ではよく分からないのだけど、先日ライターをしている友人から「すだちの文章は読みやすくていいよ、ライターに挑戦してみたら」と言ってもらえてうれしくなりました。お世辞だとしても、褒めてもらえるのは嬉しい!

少なくとも、書くのは早くなったと思う。分かりやすい・読みやすい文章を書くのって、どんな仕事をするにしても必要なことだと思うから、これからも書く練習も兼ねてこのブログは続けていきたい。

とはいっても、このブログは、好きなことを好き放題書く場所、と決めているので取っ散らかった文書があがることがこれからも多いかと思います。好き勝手やっていきます。いえーい。

 

いつも読みに来てくれる読者の方、Twitterで絡んでくれる方、いつも本当にありがとうございます。

数年前、体調が悪かった時にたくさん優しいコメントを書いてくれた人たちがいて、でも体調が悪すぎて全然コメント返信ができてなくて、申し訳ないなという気持ちが今になって渋滞しています。でもな~2.3年前のコメントに今更返事を書いたとして、どうなんだろう。どうなんでしょう!

 

おかげさまで今は元気にやってます。人生山あり谷あり。すだちの人生のごくごく一部を切り取ったブログに過ぎませんが、これからも面白がりながら読んでくれたら嬉しいです。

6年目の今年は、最低月1記事は更新したいなっていう目標。ゆるすぎ。

コロナ落ち着いたら、たくさん遊びに行って、旅行の記事とか書きたいなー。

 

以上です!ここまで読んでくれてありがとうございました~

 

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見知らぬ景色を

久しぶりの快晴。いつ雨が降ってくるかは分からないけれど。

4日ぶりの外出。外の空気を吸い込んで深呼吸をする。

ようやく干せた洗濯物を満足げに眺めて、車を走らせる。

 

溜まっていた事務手続きをするために、銀行をはしごする。めんどくさいけど仕方ない。全部オンラインでできたらいいのに。

青い空、川の周りの田んぼが自然のエネルギーを放っている。稲穂が少しずつふくよかになってきている。黄色と緑が混ざって、黄緑色のじゅうたんに見える。遠くに目をやると高いビルがある。でも、ビルまでの距離は遠い。空は広い。風がそよいでいる。最後の夏が、夏のエネルギーを爆発させているという感じ。

 

旅に行きたいと思った。旅行でなくて、旅。数日間レンタカーを借りて、知らない土地を走り回りたい。もしくはフェリーに乗って、遠くの島へ行きたい。

数年前に行った北海道1周の旅は最高だった。宿だけ決めておいて、あとは行き当たりばったり。前後左右どこをみても他の車がいない道をひたすら走る。たまに、爆速で走ってきた車に追い抜かれる。景色は変わらない。変わらないけど、変わっていく。広すぎて柵が存在しない牧場、生えている木がの種類が本州とは明らかに異なる山道、雪を残したダム、海沿いで色んな表情を見せて打ち付けてくる波。教えてもらわなかったら海だと思い込むほど大きな湖。自然が作り出した、細く長い道。先にあるのは灯台だけ。それでもそこは道道*1で、道は続いている。枯れ果てた土地のような景色。夕焼けを見るために登った、舗装されていない山道。車を運転しながら崖から落ちるかと思った。本州は暖かい季節だというのに、空気が冷たかった。でも、厳しい冷たさじゃなくて、目が覚めるような冷たさ。すっきりとしていて、いつまでも深呼吸をしていたかった。豊富な雪解け水が流れる川でのラフティング。照り付ける太陽は暖かいのに、水は最高に冷たかった。冷たくて気持ちがいい。車で北海道を回っていると話したら、同じボートの地元のお姉さんたちから驚かれた。物価もなにもかも世界遺産価格で何も買えなかった知床半島。もっとリッチになったらまた来たいねと、自分たちの基準からはとんでもなく高い海鮮丼を食べながら話した。

夜、人が減った漁港のまち。居酒屋を求めてさまよう。人が全然歩いてなくて、不安を感じた。かろうじて見つけた店の前を、3回ほど往復して、一見でも受け入れてくれるかを観察する。ええいままよと入ったお店は大当たり。貝をたくさん焼いて食べた。反対側の席には、地元の若者集団が延々とパチンコの話をしていた。この街にはパチンコしか娯楽がない、パチンコは生活の一部だ、給料の半分はパチンコに吸い込まれている、と言い切っていた。

アイヌのまち。ここでも夕食難民になる。勇気を出して入ったお店で熊を食べる。熊、少しクセがあるけどおいしい。獣系のお肉は割と好きである。熊の力強さを感じながら、この熊はいつまで生きていたんだろうとか思う。ゴールデンカムイを最近読んだ。次行く機会があれば「ヒンナヒンナ」と言いながら食べたい。

 

日本は広い。知らない土地がまだまだたくさんある。観光地に絞った旅行ももちろんいいけど、あてもなく車を走らせたり、18きっぷでローカル線に乗ったり、そんな旅がしたい。

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若く元気な20代の頃にたくさんできてよかった。でも、まだやりたい。旅をしたい。知らない土地の空気を吸って、写真を撮って、美味しいものを食べたい。知らない土地に行くのは楽しい。早く行きたい。知らない場所へ身軽なうちに。

*1:「北海道道」略して道道

雨をみながら

いつまで降るんだいと、窓の外に問いかけても雨は止まない。時折大きな音で、私に呼び掛けてくる。ざぶうん、びゅうびゅう。風も強くなって、眠ろうとする私を妨害する。

涼しい、連日の猛暑がまるでどこかへ行ったようだ。ニュースを付けると、内水氾濫・外水氾濫で浸水している映像が流れてくる。あまりに広範囲すぎて、全国各地の映像が流れる。なんでなんだろうねぇ、線状降水帯で被害が出るようになったのはこの数年だ。台風より、線状降水帯の方が被害を多く出してるんじゃないかって思うくらい。間違いなく気候が変化している。異常気象だ、と簡単に表現するけど、「異常」だから仕方ないってことなのかな。「異常」って言葉を出したら「それは異常だから仕方ないよね、もう我々にはどうしようもないよね」って意味が暗に込められているようにも思う。

数百年前、下手したら千年以上前から全国各所で行われてきた治水事業。何百年もの時間をかけて積み重ねられてきた堤防が守れるだろう雨量はとっくに超えている。河川が絶対に氾濫しない高さまで堤防を全て作ることなんて、できない。人間は自然の猛威に追いついて完全に制御することはできない。自然災害も、コロナも。だから、逃げる。危ないところから逃げる。とりあえず命だけでも。ただし知識を得て、先人の経験から学んで、それ以上のことが発生すると予想して、計画的に避難することはできる。わたしも住む地域も、とある河川が氾濫したら浸水する。かなり甚大な被害が生じることはハザードマップからも、周囲の地形からも分かっている。逃げるための情報を得るために、周囲の状況が分かるといい。河川の水位や、今後の予測、現在の河川の映像。水門や河川に設置されているライブカメラの数を増やしてほしい。「今、あそこの川の水量があんなに増えてるよ、だから逃げよう」って家族を説得できる材料になるから。電子的に送られてくる数字やデータよりも、映像で見たほうがずっとインパクトがある。正常性バイアスのかかっている人を動かすためには、それなりの説得材料が必要となることは、想像に難くない。ホテル避難とかの制度も進むといいよね。避難所での雑魚寝は嫌だけど、ホテルの快適な個室なら避難しようかなってなる人たくさんいると思う。そもそも日本の避難所の環境が悪すぎるんだよなぁ。老若男女ごちゃ混ぜで、雑魚寝を数日、下手したらもっと長期間やらなきゃいけないの、しんどすぎない?ただでさえ不安な状態なのに、身体は休められないし、不眠が助長されちゃう。安全・安心・安眠をまず確保するために、どんな工夫ができるだろうか。

 

 

無気力の正体

ここ数日、なんとなく無気力状態が続いていて、「どうしてだと思いますか?」と聞かれたときに理由を考えてみた。とっさに出てきたのは、「コロナが蔓延してるから、いい状態にならないから」という理由であり、それを口に出した。もちろん、コロナもそうなのだけど、コロナの蔓延が直接的に影響してるわけではないんだよなぁと思いつつ、とりあえずそう答えた。私のメンタルにとって、コロナは間接的に響いている。コロナに罹患するという直接的な恐怖よりも、行動制限や生活に支障が出ていることに対するストレスの方がずっと大きい。

とはいえ、無気力の理由は、コロナだけではない。帰り道、無気力の理由を考えながら運転をしていたら、結論にたどり着いた。家族の入院だ。ひとり家から欠けることで、家族システムに変化が生じる。何かあった時には自分が家族を支えなきゃ、的なプレッシャーと、容体の心配が重なっている。深刻に考えすぎても、自分にできることは限られているので(医者の技術と運を祈る程度しかできない)、考え込みすぎて落ち込むくらいなら、どーんと構えていようとは思っているのだけど、とはいえ、無意識の中ではそうでもないんだろうなぁと思う。何が深刻な事態になってしまったら、否認・怒り・現実逃避・深い悲しみなどが自分の中に生じるのだろう。現時点で生じうるのは不安だ。不安と対峙するエネルギーを使わないようにしているのかもしれない。

「緊急連絡先にすだちの携帯電話番号も伝えておいたからね」と言われ、「あぁ(自分も親も)もうそんな年になったのか」と思ったりもした。いつまでも、あると思うな親と金。

割と気楽に考えているつもりではあるのだけど、とはいえ、精神的に負担はかかっているんだろうな、という結論にたどり着いて、少し楽になった。

 

コロナ禍で面会もできない。手術の立会も一人だけ。医師から説明を受ける、本人や立合いの人を支えられる資源も乏しい。可能であれば私も同席したい。2人で聞くより、3人で聞いた方が、ショックが和らぐ気がする。そうでもないのかな。

こんな状況の中、入院できただけラッキーなのかもしれない。しばらくは家族の支援者となれるように、粛々と過ごそうと思う。

サードプレイスとしてのインターネット

はじめて「インターネット」の世界に触れたのは、高校受験が終わった中学3年生の春休みだった。高校入学までの暇を持て余した私は、同級生とゲーム三昧な春休みを過ごしていた。毎日誰かの家に集まって、ゲームをする。小学校から持ち上がりで地元の中学に進学する人が多かった私の地元。長年連れ添った友人関係が一度解散し、高校という新しいコミュニティに突入する前の寂しさを感じていたのかもしれない。毎日、WiiスマブラやNew ス―パマリオブラザーズをやっていた。

 

そんな中、いつもつるんでいた仲間の一人がチャットルームを立ち上げた。当時携帯電話を所有していた同級生は半数程度。自宅のパソコンでメールのやり取りをしていた友人も多かった。もちろんLINEなんてない時代。

家族が寝静まった23時頃、そっと自宅のリビングにあるパソコンを立ち上げる。教えてもらったチャットルームに入ると、いつもの友人たちがログインしていた。ハンドルネームを入れて、テキストを入力すると、すぐに返事が返ってくる。ただそれだけのチャットルームだった。閲覧できるログは999件まで。夜更かしの背徳感と、家族にばれないかどうかのスリル、深夜テンションでたまに誰かが恋バナをする。その場にいない人にログが見られないように、話が終わったら弾幕でログを消去した。使うのはテキストと顔文字のみ。絵文字もスタンプもないシンプルな世界。

「ログインしました」と片思い中の彼のハンドルネームが表示されるたびに、鼓動が早くなった。

新しい高校生活に入るまでの約2週間、そのチャットルームで夜を過ごした。

 

高校へ進学すると、部活や勉強で忙しい日々が続いた。チャットルームへのログイン頻度はガクッと下がり、そのうち存在も忘れていった。たまに思い出してログインしても、当然のように誰もいなかった。

 

mixiが流行っていた。ガラケーを所有していたけれど、「あくまで連絡用」と用途を制限されていた私は、ガラケーからインターネットへの接続はできなかった。

Twitterに手を出すのは早い方だったと思う。音楽を聴くために誕生日に買ってもらったipod touchが、私とインターネットを繋ぐ道具となった。自宅のWi-Fiに接続して、ベッドの中でこそこそとTwittermixiをやっていた。Twitterはアカウントを持っている同級生が少なくて、本当に限られた友人とだけ繋がる場所だった。

 

大学生になり、ガラケースマホに進化した。iPhoneを手に入れた私は親の監視から離れ、自由にインターネットを使えるようになった。高校を卒業するタイミングでLINEをはじめた。メール文化から一気にLINE文化へ移行する過渡期だったと思う。LINEに初めて触れたとき「あの時のチャットルームだ」と思った。同時に複数名でやりとりができるチャット。返信の簡単さや速さが便利だった。誰とでも気軽にグループラインを作ってしまえば、手元のスマホ一台で手軽にやりとりができる。最初に感動した便利さにはあっという間に慣れてしまった。今はもう、LINEなしで生活できない身体になってしまっている。

 

就活も終わり暇を持て余した大学4年生、ふと思い立ってはてなブログをはじめた。時間だけは無限にあった。

適当に文章を書いてブログを更新していたら、読んでくれる人が現れた。スターをつけてくれたり、コメントをくれたり、読者登録してくれる人がいた。顔の知らない人とインターネット上の交流を始めたのは、はてなブログが初めてだった。

ブログの中では「すだち」という別人格が自由に振舞う。軽やかな足取りで歩くように、文章を書いた。「すだち」になってキーボードを叩いてる瞬間は、自由だった。現実世界で昇華できない感情を、インターネットの中に放出した。

 

読書以外で、他の人の書いている文章に触れるようになった。インターネットの世界にはなんて面白い文章を書く人がたくさんいるんだろう!考え方も背景も人生経験も全く異なる人たちが書いている文章に私は魅了された。

 

社会人になり、ブログの更新頻度はガクッと低下した。それでも、休日にカフェへ行き文章を書いたり、通勤時間にブログを読んだりしていた。しんどい時には、たくさんの人から優しい言葉をかけてもらった。リアルでは吐き出せない感情を、インターネットの世界に放出していた。

 

インターネットでしか交流したことのない人とリアルで会ったりもした。これは、人見知りな自分にとってはすごく勇気が必要なことだった。

 

インターネットの世界は、わたしにとってのサードプレイスだ。家庭でも職場でもない、第三の居場所。戻りたいときに戻ってきて、居たいときには居たいだけ居座る。しばらくここはいいかな、と思ったらふらりと別の場所へ行く。

卒業して離れ離れになった同級生たちと繋がるSNS。遠くに住んでいても近くに感じることができる。物理的に会うことのできない友人と話せるSNSは、卒業後もわたしのサードプレイスとしてメンタルヘルスの維持に大いに役立っている。

距離を取りたいと思ったら、SNSを開かなければいい、インターネットから離れればいい。単純な話だ。

 

自分の意志で近づいたり、離れたりできるインターネットの世界。これからも私のサードプレイスとして、私の隣に存在し続けるだろう。

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」