ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

2020年を考える

2020年になった。今年のはじまりは、1日引き篭もって終わったのだが、普段と何も変わらなくて、相変わらず気力の低い状態の自分に、一周回って呆れ切ったりしている。
 
今日は親戚付き合いから逃げるようにカフェへ行き、ずっと文章と向き合っている。親戚付き合い、元気な時はなんともないが、今年は、とてもじゃないが顔を出す気分じゃない。愛想笑いと「今何しているの」といった質問の応酬、胸を張って応えられることがあればいいけれど、生憎社会に適応していない自分は、なんて応えたらいいのか分からず、固まり苦しむ未来が見えたので、止めることにした。親戚付き合いもまともにできないなんて、社会人失格だと思うけど、まだ気を使わなければならない集まりに積極的に行けるほど元気になっているわけではない。
 
未来を考える。今年はどんな年になるかと考えた時に、一番最初に思い浮かぶのはオリンピックだ。
東京オリンピックが決まった2013年のあの瞬間は鮮明に覚えているし、近しい人がそっち方面で活躍していることもあり、2020年=東京オリンピックという刷り込みがずいぶん昔からできている。色々問題はあるけれど、無事に終了してくれたらいいなという気持ちでいっぱいだ。わたしは、少し離れた場所から、オリンピックを見守りたいと思う。
 
結局のところ、自分の進む未来が完璧に不透明なことが、さらに不安を増長していると考える。「余計なことまで想定して不安になってしまう」というわたしの性格は、少し改善しようと意識しても、簡単にはできなくて、「オリンピックが終わったら景気が悪くなるから、就職が難しくなるかもしれない、わたしはそのころ生きていられるのかしら」なんといった、根拠も恐れる理由もどうしようもない、恐れたところでどうにもならないことで不安がっている日々が変わることはない。
 
人生なるようになるさ、と気楽に構えられたらいいものの、なかなかそれも難しい。どうせ行き当たりばったりになるのだから、それを受け入れて、なるように生きていけばいいのにね。そのギャップに毎回苦しむ。hspの特性でもあるんだろうなと思ったりする。
 
毎日〇〇をする、という目標は1日できなかっただけで、やる気が半減、むしろゼロ近くになってしまうことが度々あるので、今年は「毎日〇〇する」という目標は作らないことにする。
手帳や日記は数日に一度、気が向いた時にすればいいし、家計簿だって、ざっくりつけられればいい、レシートを貯めてあとでまとめて打ち込めばいい、それくらいの気持ちでいたい。
 
ブログで昨年365日分の日記を書き続けている方がいて、素直にすごいなと思った。そしてこれを読み返すのが、すごく楽しいことなんだろうなと想像する。
感情を書きなぐる自分用の日記と、公開されるブログに書く内容は少し(だいぶ)違って来るわけだけど、両者の視点で記録として日記を付けられたら、素敵だなと思う。わたしが実現できるかは謎だけど、気が向いた日にはブログにも日記を書こうかな。(毎日更新、なんて決まりは作らない)
 
今年は、会いたい人にもっと会ってみたいと思う。生活環境が変わる予感もしているし、そうなったらまたいちから全てを積み上げていく作業が付随される。
お気に入りのお店を増やしたいし、でも節約もちゃんとしたいし、メリハリをつけながら生きていけたらなと思う。
 
そして、『全てを「6割」の力で取り組む』こと。
0か100か、みたいな力の入れ方しかできないわたしはそろそろ卒業したい。わたしのことを割と理解してくれている(と思っている)先輩と話をした時に、
「わたし、物事に取り組む時って、0か100か、みたいになるんですよね、ひとつやる!って決めたらそこに全力投球しちゃって、周りが見えなくなるし、途中でスイッチが切れると何もできなくなるんです」
「わかる〜オレもそのタイプだもん、うまく力を抜いてやっていけたらいいと常々思うけど、それって難しいよね、器用な人たち羨ましいよね」
なんていう会話があった。
実にその通りで、先輩も0か100か、みたいな感じで生きているように思えるし、でも物事に集中している時のパフォーマンスの高さを間近で見てきて知っているからこそ、そんな先輩を尊敬していたりもする。
 
結局無い物ねだりなのかもしれない、というか、そうなのだろうけど、やはり「力を抜く」ことは必要だと思うから、その方法を身につけられたらと思う。
 
外の空気を吸って、陽の光をできるだけ浴びて、2020年は生きていけたらといいと思う。
自己探索の旅はまだまだ続く。
 
 

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