大学生活で交流のある女友達はどんなに多く見積もっても7~8人だった。
時間を持て余したり、遊んだり、かと思ったらありえないくらい忙しくなったりして、大学生活はまるで緩急の激しいジェットコースターの様だったなと思う。
忙しさとストレスがピークだったとある時期、私の周りにいる女友達全員に恋人がいて、わたしには恋人がいなかった。そして、貴重なオフの日に、ひとりでぼーっとしながら考えていた。
「みんな恋人と過ごしてるんだろうな」と。
当時のわたしは若かった。
自分に降りかかってくる多くの課題を「わたしはひとりでこなしているんだ、どうせひとりぼっちだ」と思いこみ、恋人がいる友人たちには「でもどうせ恋人がいるから話聞いてもらえるんでしょ、なにがあっても味方でいてくれるもんね、いいな」なんて心の深い所で思うことがあった。
口にも態度にも絶対出さなかったし、普段は考えないようにしていたし、そんな思考を認めないようにしていたけれど、心の深い所では何度でも思っていたように思う。
所属していた組織ではそこそこ責任の強い役職に就いていて、理不尽に外の大人に怒られることもあった。部下の責任を上司が取る、みたいな構図だ。(大学生の組織なので、社会人ほど大変ではなかったし、しょせん遊びだろと言われたらそれまでだけど)
本番の直前、忙しさがピークだったころ、自分の力ではどうすることもできないことで、大人にひどく叱責されたことがある。自分の力が足りないのが悔しくて、でももう自分にもチームにも対処する力も能力も時間も残っていなくて、佳境に立たされた。
先方の指示から、チームの代表としてその大人に会うことが許されていたのはわたしだけだったので、チームの作った案をその大人に許可してもらうために何度もひとりで通っていた。
すぐにチームのみんながいる場所に戻って結果報告をしなければならなかったのに、戻ることが出来なくて、女子トイレでひとりで泣いた。人の前で泣くことも、だれかにSOSを求めることも、当時のわたしはできなかった。ひとりで抱えて、静かに悔し涙を流すことしかできなかった。
チームのみんながいる場所に戻って、なんて言えばいいだろう、どう話せばいいだろう、わたしだけの責任じゃないって思っていたけれど、こんなとき、恋人がいれば、話を聞いてもらえるんだろうな、なんてことも頭を過っていた。最後のほうは、恋人がいない自分に対してに理不尽に怒って泣いていた。
本来チームの場所へ戻るべき時間を1時間近く過ぎたころ、ようやく落ち着いて、いつもの居場所へと戻った。10分後には次の会議の予定が入っていて、ぎりぎりだった。
「やっと戻ってきた~心配してたよ、また絞られたの?大丈夫?」と声をかけてくれたチームの一員の言葉は今でも胸に残っている。
良くも悪くも自由奔放なメンバーが揃ったチームだったので、どうせわたしが戻ってないことに気づいてるメンバーなんていないだろう、と思ったりしていた。
いつものモードに切り替えたわたしは「また絞られたよ!全くもう!ほら!修正するよ!」とチームでの話し合いを再開した。
***
今でも、よっぽど心を許せている人の前でしか泣くことができないわたしは、ひとりで悲しい気持ちや涙を処理することが多い。
でも、昔と比べて涙の頻度もずっと減ったし、少なくとも他人と比べて悲しくなったり悔しくなって、心をかき乱されることは、無くなったように思う。ゼロではないけど、落ち込む前に「他人と比べてもしょうがないんだから」とブレーキをかけられるようになった。
大学生の頃はクリスマスや誕生日を、みんな恋人と一緒に過ごしていて、各イベントがちっとも楽しみじゃなかった記憶がある。SNSを通してリアルな写真が見えてしまうことも遠因だろう。今考えるとひどく歪んだ思考だと思う。けど、そうやって感じていた自分さえも受け止めてあげることが、自分を認めるうえでは大事だ。
自分と他人との境界線が確固としたものとなってきたのもこの時期だったのかもしれない。
他人と比べてもしょうがない、自分は自分、他人は他人、他人が持っているものを羨ましく思う暇があるなら、自分を豊かにすることを考えよう、と。
捉え方によってはひどく冷たい人間に感じられるかもしれない。でもこれがわたしの辿ってきた軌跡で、これからもこういう小さなものを積み上げて成長していきたい。