ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

1年以上が経過していた

友人がTwitterで「片づけをしていたら昔の写真がたくさん出てきて楽しい、アルバムとか見返すの楽しいな」とつぶやいていた。久しく自分も写真を見てないなぁと思い立ち、HDDを引っ張り出してきた。最後にカメラで写真を撮ったのは、2020年の3月。緊急事態宣言が出る前に、菜の花を撮りにドライブしたのが最後だった。

毎日散歩をしていて、散歩コースに被写体が全くないわけではない。でも、カメラを持っていこうとは思わない。

自分でとった写真も「いい写真だな、お気に入りだな」と何度も見返す写真はほぼ必ず人の写真だ。友人が笑いあったり、変顔をしていたり、キメ顔をしていたり。作業に集中しているときの横顔とか、大笑いしてる全力の笑顔とか。友人の結婚式で撮った写真は、冗談抜きで一生見ていられる。時間がどんどん溶けていく。

アルバムを作りたいなと思う。旅行とか結婚式とか、イベントがあるごとにたくさん写真を撮るのだけど、写真を撮るだけ撮って満足して、終わってしまう。形に残るものに変換しておいた方がいいのは分かるのだけど、どうもそのひと手間が面倒で先に進めていない。

 

友達とのなんてことない飲み会、旅行先できれいに色づいた紅葉を見ながら歌を歌っているドライブ、どうして動画を回していたのか分からない謎の動画。ひたすらに変顔をキメてくる友人の耐久動画。みんなマスクをしていなくて、楽しそうに笑っている。鍋を囲んでいる風景を見て、内臓がしびれるような感覚になった。

このままこの生活が続くのであれば、カメラとgoproの出番は来ないかもしれない。売却の可能性もあるのかなと少し思う。年を重ねるにつれ、友人と出かけたり旅行に行く機会も減っていく。十分遊んだじゃないかという気持ちもあるけれど、それでも気の合う友人との旅行やお出かけは楽しい。とはいえ、たぶん減る。間違いなく減る。この先、自分の生活と友人たちの生活リズムや生活水準は合わなくなっていくだろう。もう一段階上の発達段階への移行期なのだろうか。自由な青年期が終わる気配を感じた。

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