誰かは味方
一つ前進したと思った。
大学時代、私はあることから逃げ出した。このブログを書き始めた直接の要因の一つとカウントしてもいいくらいには大きい出来事で、そのことについては絶対に思い出したくないような、心に封印した出来事だった。
カウンセリングを受けて、少しずつ精神状態を回復していった。そこから逃げるという決断をするまですごく時間がかかって、その間はずっと寝込み、ご飯も喉を通らず、お風呂にもろくに入らず、な悲惨な生活を送っていた。
そこから逃げ出して、環境を変えてからは少しずつ元気になって、逃げだした出来事に関する話も少しずつできるようになっていった。
周囲の友人や関係者の配慮あってのことだと思っている。きっとすごく気になっていた人もいただろうけど深くは掘り下げてこなかったし、さりげなく気を使ってくれていたんだろうなと思うと、今更になって感謝の気持ちが溢れてくる。
先日、逃げ出した場所に残り続けた友人に久しぶりに再会し話す機会があった。
話の流れから、私が逃げ出した後の話になったのだけど、動揺とか動悸とか全くなくすんなりその話を聞き、笑うことができた。
私がそこから逃げ出した後も継続して友人関係を持てることに感謝したいと思ったし、なんていうかさりげないフォローというか気遣いを沢山受け取っていたんだろうなと思った。散々迷惑をかけたと思う。すごくありがたい。
その場所の光景とか、考えるだけでもすごくつらくて記憶の片隅に追いやって、封印してから数年。自分の中で昇華されたのかもしれない。
あそこで頑張っていたこともあったなぁとか、あんな話をしたよなぁとか、なんだか懐かしくなった。あの場所の光景を噛みしめながら懐かしむことができた。
結果的に逃げ出して、周りからどう思われていたかは分からない。
大して私のことを気にしていない人も多かっただろう。迷惑をかけた人もいただろう。
だけどあの時の私には逃げ出すことしか選択肢が無かったし、その判断自体は正しかったと思う。
本当に嫌な思い出は、心に封印してしまえばいい。
時間が経過して思い出したときに、「あんなこともあったなぁ」みたいな風に思えればいいと思う。
いっぱい傷ついたときの光景や情景は思い出したくもないし、それに関しては一生封印していく予定だけど、直接は関係はない空間や場所、人の記憶はそっと胸にしまっておきたいと思う。
最近ランダム再生で流れてきた乃木坂46の「誰かは味方」という曲の歌詞がすごく響いた。
タイトル通り、歌詞の最後に「誰かは味方」というフレーズがあるのだけど、あぁそうだなって、この場に味方はいないと思っていても、どこかの誰かは私の味方でいてくれるんだろうなって。
あの嫌な出来事があったときも、味方でいてくれた人は沢山いたし、周りに支えられて生きているんだなと。
私も誰かの味方でいれるような、そんな人間でいたい。