ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

でも進むのは自分

やりたいことが、たまりにたまっている。

半月ほど前に作った「(半年以内に達成したい)やりたいことリスト」の中身はあっという間に50を超えた。毎日そこそこ充実した日々を送っている。自分の興味の範囲がどんどん広がっていく。2021年は、新しく出会った人や概念がたくさんある。全てを整理することはできていない。でも、自分の「心のフック」となる概念や語彙を広げることには成功した年だと思う。

興味のあることが、同時にどんどん増えていき、拡散している。博士課程に進みたいし、研究もしたいし、文献もたくさん読みたいし、実績も経験も積みたい。一体何の話をしているんだと思われてしまうけど、もう少しお付き合い願えると嬉しい。

 

社会人になって、数年が経過した。周囲の友人は結婚ラッシュで次々と結婚していく。子どもを産んだり、家を買ったり、昇進試験に合格したり、「一般的な生活」における成功を次々と重ねている。その過程には、人それぞれ苦労があるのだろうけど、それをわざわざ他人に話すことはほとんどない。「結婚した」「出産した」「昇進した」とかいう、分かりやすい結果として、私たちの耳には入ってくる。そしてそれを祝福する。同時に、報告してくれたことに感謝する。

わたしはそんな優秀な友人たちとは少し外れた道を歩むことに決めた。その道は、間違いなく回り道である。新卒の時に選択した進路から外れなければ、安定した将来は約束されていたからだ。「今はこんな感じで、これからこうしたいんだ」と話すと、9割以上の友人は驚く。そして問う。「家族は反対しなかったの?恋人は?」「周りが(普通の人生を)進んでいく中で、焦ったりしないの?」

 

数年前、体調を壊した時点では焦りがあった。早く元通りにならなければ、頑張って追いつかなければ、と。長い時間、海の底に沈んでいた。とある人にロープを垂らしてもらい、わたしはそのロープを辿って水面まで這い上がった。そのあと、家族や周囲の大切な人たちが作ってくれた船に乗り、自分で作ったオールを握って、今は、その船を前に進めている。船の向かう先は、大企業での昇進でも、社会的な成功でもない。それでも、当時の私がはっきりと「こうなりたい」と思った自分が、船の先に現れると信じて約2年間、船を漕いでいる。まだ先は長い。

ロープを垂らしてもらったり、船を用意してくれたのは周りの大切な人間である。本当にありがたいことだ。それでも、水面へ這い上がったり、船を前進させているのは自分である。

 

自分の人生には自分で責任を持たなければならない。それでも、周囲から道を外れたことに対して、焦りや劣等感を感じることはなくなった。*1

ある意味諦めたともいえるし、他人と比較することもなくなった。10人で集まったら、わたし以外の9人は順当な人生を送っているように見える。実際そうだと思う。私は外れた1人だ。でも、「この中で比較してもしょうがない」「ないものねだりしてもしょうがない」と思う。もうそのあたり悩みとは、別次元の段階に進んだと思っている。

 

人生でやりたいと思えたことに出会えたことは幸せだ。そして、それに没頭できる環境も。金銭的な贅沢は当分できないし、まだまだ苦労は続くだろうけど、自分のわがままを受け入れてくれる周囲に感謝しながら、日々を過ごしたい。

そして、自分の目標を達成したら、その時には誰かのためにロープを垂らしたり、船を作ったり、メンテナンスできる人間になりたい。だれかが前に進むことを応援できる人間で居たいと思う。

 

*1:とはいえ、子どもの出産という点に関しては焦りがある。今の時点で明確に子供が欲しいと思っている。年齢制限を考えると、本当に多くの点で悩ましい