息をするように
わたしは不器用である。ほんとうに、いろんな場面で「不器用だなぁ」と思う瞬間がある。周りの人はどう思っているのか知らないが、とにかく「不器用」だと思う。
「もうちょっと上手にできたのに」とか「あの時Aって答えるんじゃなくてちょっとひねってBって答えておけばよかった」とか、会話してる最中でも「今絶対かみ合ってないよな~相手が求めてる回答、これじゃないんだよな」とか思ったりする。最近は不器用な自分をまるごと受け入れて「それがわたし」と思うようになったからずいぶん楽だけど。山下に「もうしょうがないな~」と笑いながら肯定してもらえていることも、大きなことだと思っている。
季節の変わり目、そのうえ気圧の乱降下が続いていてすこぶる体調が良くない、メンタルどっかーんいって、去年と同じレベルで落ち込むことはなくなったけど、それでも身体がうまく動かなかったり、頭痛や腰痛や、云々の身体の不調が出てくる。仕事でひとつ大きな山場を越えて、スイッチオフモードに突入してしまったのもあるかもしれない。
漠然とした未来への不安とか、将来のこととか、目の前のこととか、たくさん考えるけれど、器用な友達というのはたくさんいて、「あの子上手にやってるなぁ」「わたしも同じ立場だったらその選択肢取るんだよなぁ(実際には別の選択肢を選んでる)」その子たちは、本当に、上手に生きていると思う。ある意味で切り替えや諦めといった取捨選択が早かったりもするのだけど、本人がそれでいいなら、それが一番だと思うし。
部屋の間取りを見たり、今の生活スタイルを変えた後の試算をしたり、そろそろ新しいステップへ踏み出してもいいような気もしているけれど、なんとなくそれを先送りにするような予感もしている。
わたしが思い描く「理想の生活」像というのが、だいぶ昔からあって、それは現在進行形で更新されている。次々に更新されていく「理想の生活」は、少しずつであれば手に入れることができるだろう、でも、やっぱりひとりじゃどうしようもない部分が多くを占めていて、そこに行きつくと「どうしようもないなぁ」とぼんやり考えることしかできない現状である。
今の生活もそれなりに楽しいけど、そろそろ色んな意味でステップアップしてもいいんじゃないかと、ぼんやりと思うわけで、でもそれがどういった形での「ステップアップ」なのかははっきりとは分からなくて、なんだかなぁ、と。
この間仕事が久しぶりに定時で上がれて、ご飯食べて、お風呂入って、平日なのにも関わらず3時間近く山下とゆっくり電話ができたんだけど、その電話がものすごく楽しくて、最近ゆっくり電話する暇もなかったな、毎日話せたらそれだけでも嬉しいな、でももし一緒に住めたら毎日顔を合わせながら会話ができるんだな、と改めて思って、こう、なんていうか、だからといって遠距離の現実に対して悪い感情が湧いてくるわけではないんだけど、それでも、距離が近いに越したことはないなぁと思ったりもして。だれかどこでもドア開発してくれないかな、瞬間移動したいな、ってことを考えずにはいられなくて。
考えすぎると頭パンクするし、考えたってどうにもならないから途中で考えるのやめるんだけどね(強制シャットダウン)、人生難しいね~
桜が咲いたら缶ビール飲みながら一緒に夜桜散歩したいけど、今年の開花予想的に厳しそうかなって思ってて、去年も同じことを思ったような気がして、まぁしょうがないよな、いつか当たり前のように毎年できるようになったらいいな、なんてね。
息をするように当たり前のことって、当たり前じゃなくて、人間はないものねだりだからどうしようもないけれど、自分の世界がちょっぴりいい方向に向かうといいなって思います。何が言いたいのか分からなくなったのでおわりです。おわり。