ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

インターネットと情報

ゆっくりと書いてみることにする。ふだんの書くスピードは、たぶん、それなりに早い。一度書き始めたら、ノンストップで脳内から出てくる言葉を、少し焦りながら(脳内から言葉が溢れてくるスピードがはやいため)、キーボードでインターネットの世界へと打ち込んでいる。今日は、気持ちにゆとりをもって、ゆっくりと書いてみる。

 

最近、「情報」について考えていることが多い。インターネットの普及、一人一台のスマホSNS、ブログ、ネットニュース。15年前と比較して、様々な情報に、手軽にアクセスできるようになった。Twitterを開けば、雪崩のようにたくさんの情報が、画面の上に表示される。内容だって、ジャンルは多岐に渡る。平和な話題もあれば、猛烈に誰かが何かに対して怒っているものもある。過激な言論は求めていないから、それなりに平和なTLになるようにしているけれど、それでもあまり見たくない激しい論調のものが入ってきたりもする。

15年前、インターネットは既にあった。でも、アクセスできるのはPCからで、当時10歳だったわたしは、ほとんどPCには触っていなかった。新しいことを学んでいたのは、教科書、本、TV、新聞からだった。あとは、ひたすら外を走り回って、秘密基地を作って、ドッチボールをしていた。自分の力で新しい「情報」が手に入るツールと言えば、教科書、本、TV、新聞で、インターネットの海を回遊したりはしていなかった。後は小学校で友達や先生との対話であたらしい「情報」を吸収していた。

中学生の時も、小学生の頃と同じような環境だった。家にPCはあったけれど、ほとんど使うことはなかった。部活をして、帰宅して、お風呂に入って夜ご飯を食べたら20~21時くらいには就寝していたので、余暇にインターネットで遊ぶ、なんてこともしなかった。相変わらず、自分が情報を仕入れるのは教科書、本、TV、新聞からだった。あとは人間とのコミュニケーション。新しい知識欲についても、学校で教えてくれることを反芻して、勉強することで満足していたし、受験のために、一生懸命勉強していた記憶がある。真面目な中学生生活だった。当時はmixi前略プロフィールが流行っていたけれど、「不特定多数の人と交流はするな」「インターネットに個人情報を書くことは怖いことだ」と親に強く言われていたから、自分で登録したりすることはなかった。たまに、興味本位で家のPCから友達のものを見に行っていた記憶があるけれど、「こんなに個人情報をさらして大丈夫なのかな」と思ったくらいだった。

高校生になって、少しだけインターネットの世界に入り始めた。Twitterをはじめたのは高校一年生の冬だと記憶している。まだ持っているのはガラケーだ。携帯料金の関係で、ガラケーからネットには繋がなかった。モバゲーやmixiが流行っていた。ガラケーは専ら連絡手段として、家族、クラスメイト、部活の仲間とメールでやりとりをしていた。メーリス、全盛期だった。

Twitterは、iPod touchから、自分の家でWi-Fiに繋いでアクセスをしていた。当時フォローしていたのは同級生3人くらいだけで、たぶん自分の周りでもやっている人は少なかった。でもやっぱり知らない人と繋がるのは怖くて抵抗があったから、鍵をかけて知っている友達とだけ、交流していた。とはいっても、1週間に30分もやっていなかったと思う。相変わらず部活三昧で帰宅後は倒れるように眠っていた。

大学生になって、iPhoneを購入してもらった。スマホからインターネットに繋ぐことができるようになった。入学式の日、ひとりぼっちで大学に向かいながら、なんとなく大学と学部名をTwitterエゴサした。すると、すぐにこれから入学式で出会うであろう、同じ学部の人がたくさん見つかった。彼・彼女らは既にネット上で繋がっていた。一人だけ出遅れてしまったかもしれない、と大いに焦り、大学用のアカウントを作った。でもやっぱり怖くてフォローしに行くことは出来なかった。結局入学式で「はじめまして」と出会ったのは、みんな同じで、のちの友人関係が既に出来上がっていたわけではなかった。そのように記憶している。

一人暮らしをしていたことや、いつでもどこでもインターネットに繋ぐことのできる端末を手に入れたこともあり、ここから急にインターネットに向き合う時間が増えたように思う。Twitterをやっていない友人の方が圧倒的に少なかった、それくらいみんなTwitterをやっていたし、同じ学部やサークルの友人たちをフォローしあった。内輪ネタのようなものも頻繁に呟いて、やりとりをしていた。それでもやっぱり知らない人との交流は怖かったから、鍵をかけて、そっと内側にいた。

YouTubeのゲーム実況をすごい勢いで見ていた。高校までは頻繁に読んでいた本から少し離れ、暇な時間はひたすらゲーム実況を見ていた気がする。コメントなどはせずにずっとROM専だったけれど。なんやかんやで授業やサークル活動で忙しかったし、楽しい大学生活を送っていたのだと思う。

大学4年生になって、このブログを書き始めた。少しずつ読者の方が増えていって、閲覧数が伸びていくことが楽しかった。大学4年生になると、実質研究室の人としか会わない生活だったので、外界からの刺激が極端に減っていたのだと思う。はじめてもらったコメントが嬉しくて、自分も好きなブロガーさんのブログにコメントを書いたりしていた。「すだち」名義でTwitterもはじめて、今でもゆるくTLを追っている。TLを追っていると、自分に興味のない、普通に生活をしていたら絶対に縁のない人や話題に触れることができて、それはそれで楽しいと感じる。でもその一方で、誰もが気軽に発信できるインターネットに毎日触れていると、情報量が洪水のように襲い掛かってくる。今この瞬間に、発信されている内容も、想像がつかないくらいものすごい量だと思うし、誰もすべてを把握しきることなんてできないと思う。

小学生の時、自分で手に入った情報量が1だとしたら、今、自分で求めていけば、求めるだけ情報は入ってくる環境になったと思う。1が100にも10000にもなった。もう想像がつかないくらい大きな数字、情報量になっている。

もちろん正しい情報か、正しくない情報かを見分ける力は必要で、個人がインターネットで発信していることの情報の正しさなんて、正直これっぽっちも信用していない。特に学術的だったり、難しい話の場合。その点、自分の感情や、気持ちや、日記のような、そういった文章が読めることは、とても楽しいし、その人自身の「ものがたり」なんだな、と思う。

 

頑固な自分が行動に移せるのは「信頼している人からの生の情報」「書籍に書いてある情報」「自分自身で経験して得た情報」が元になっている必要があることが最近わかった。

例えばインターネットで「生理痛」って調べたところで「薬を飲みましょう」「身体を温めましょう」などといった文面がでてくるけれど、「もうそんなの聞き飽きるほど聞いたんだよ!だれでも言えることだろうそんなの!」みたいに思ってしまうし、実際にあまり行動に移していなかった。

でも、近所の主婦ネットワークで評判の良かった産婦人科に行って、「この先生なら信頼できるな」って思った先生から勧めてもらった薬を服用したら、びっくりするくらい痛みが改善されて、「あぁ信じて良かったな、来月もこの薬を飲もう」って思うことができた。これは「信頼している人からの生の情報」と「自分自身で経験して得た情報」が組み合わさった結果だ。

インターネット上で知らないひとが同じ薬を勧めていたとしても、別に服用は始めていなかったと思う。

 

そういった意味では、インターネットを上手に使うことはすごく難しいんだなと思う。でも、ブログやインターネットのお陰で、新しく出会えた人もいるし、様々な価値観や文化に触れられていることも事実だと思う。その道の専門家の人たちが書いている文章などを読むことも面白い。とにかく、自分にはなかった世界を広げてくれるのが、インターネットだと思う。普段ほとんどTVは見ないし、雑誌も読まないわたしにとって、インターネットが無かったらその人たちのことを知らずに、自分が死んでいくだろう、そんな人たちの数はものすごく多いと思う。

でも、やっぱり情報量の数に圧倒されて、疲れてしまうこともある。ソシャゲだって、ただ毎日のミッションをクリアするために、大して面白くも感じていないのに、惰性でログインすることがある。

部屋を綺麗にして、自分の部屋でゆっくりする時間が増えた。ベットの中に入らずに、机に座って、ゆっくりする時間。外に出かけると、目に入ってくる情報量が多くて疲れてしまうけど、自分の部屋でゆっくりしていると、身体の力が抜けて、頭もからっぽになって、とてもいい。デジタルデトックスも大事だし、かと言って刺激が少なすぎてもどうなのかなとも思う。

 

もう、インターネットがないと生きられない世界にいるし、自分自身でもインターネットがないと、生活に圧倒的な支障が出ることが分かっている。でも、付き合い方を上手にして、適切な距離感で、いい感じに長く付き合っていく方法を自分で学んでいく必要はあるんじゃないかなと思う。多分インターネットが原因で病んでしまっている人もいると思うし。難しいな。

色々矛盾があるとは思うけど、今日はこれくらい。たまにはたくさん時間をとって、ゆっくり長い文章を書いてみるのもいいね。