ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

解離

2年前の冬から、私の中には別の「なにか」が住むようになった。
「なにか」は、私の臓器をぐちゃぐちゃのどろどろにしたような形をしており、落ち込んでいるときは絶えずわたしの人体の中にいた。
「なにか」が自分の中で大暴れする。脳内では「死にたい」「死んでしまう」といった警報が鳴り続け、心があると思われる場所はその「なにか」がのたうち回ったり、臓器をぐちゃぐちゃにしたりしていっていた。人間が皆、普通の人体の形をしていることが信じられなかった。自分自身も、外から見たら普通の人と変わらない形をしている。メンタルクリニックに通っている人たちは、何かしら似たような精神疾患を持っているはずなのに、普通の顔をして待合室に座っているのが信じられなかった。
みんなこの「なにか」ぐちゃぐちゃどろどろしたものを飼っていることはないのだろうか。もし飼っているとしたら「なにか」によって体の中はどうなっているのか、どうやって耐えているのか知りたかった。


やがて、うつは回復し、職場にも復帰し、投薬も終わり、元の日常に戻っていった。
しかし、うつが再来し、「死にたい」のシグナルが繰り返すようになってから、また、その「なにか」が自分の体の中で暴れるようになった。臓器は元ある場所に戻れなくて、絶えず自分の体のなかを蠢いていた。ぐちゃぐちゃと、蠢いていた。再び、外から見たら人間の形を保っていることに疑問覚えるほど、体の中で大暴れ、暴走していた。


先日、治療をした日に、この「なにか」の正体が少し判明した。少なくともこの「なにか」の存在を自分で認めることができた。
そして「なにか」の発生源には、わたしがずっと記憶の中に封印していた(すっかり忘れていた)、とあるショックな事件がある。
「希望を持って入社した社会人一年目でこの事件を体験したら、たまらないよ、保たないよ、はじめにこの事件の話を聞いていたら、治療法を変えていたレベルだよ」と先生から大真面目に言われたほどの事件だった。
どうやらわたしはその事件を受け入れられず、一時的に自分を解離して自分を守っていたらしい。まともに受け入れていたら、仕事が続けられなくなっていただろう、翌日出社するために、自分の一部分を殺して、解離させて、なんとか動かしている状態だった。


この先は個人的な推測だが、わたしの中に住み着いている「なにか」が、一時的に解離させた自分の別人格のようなものなのではないだろうか。専門家ではないから、全く見当外れなことを言ってるかもしれない。
治療日に「なにか」と対話を試みたときは、最初は話も聞いてくれなかったけど、最後の方は少しだけ意思疎通?のようなものが可能になり、「こちら側」の話も聞いてくれるようになった。「なにか」がお気に入りの物も見つかった。
これは全てわたしの頭の中で起こっていることであるから、誰かに説明をしようとしても、納得してもらうことは難しいだろう。わたしの友人に話したら「怖い」と言われてしまうかもしれないし。これはあくまで、個人的な推測だから、信じ切ってしまうわけにはいかない。話半分くらいに思っておこう、次の治療日に、先生に聞いてみようと思う。


前進したのか後退したのか、よくわからない気持ちだ。これが判明した日は、ショックで悲しい気持ちがずっと続いていた。でもわたしは、その事件の事実に向き合わなければならない。向き合って、克服して、自分の中にある「なにか」と同居する方法を模索する必要があると思った。