希望
なにがしんどさを助長しているのか分からないけど、とりあえずどうやら、うつの状態が悪くなっていることだけは確かなようだ。
11月の頭から付け始めた、体調や睡眠、食欲を記録するノートによると、先々週より先週の方が、先週より今週の方が、明確に体調の悪さが出てきている。
元気な時がない、いや、正確には、人と会って強制的に楽しいことをしている時にはあるっちゃあるけど、基本的に一人でいる時間、世界の理とか、自分には解決のできないような、壮大な事を考えては落ち込んでしまう。
人の心は難しい。なぜなら見えないから。そして、自分でさえ、本当の自分に対する理解はほとんどできていないように思う。
ひとりひとり、感受性や性格が違って当たり前なのに、みなと同じことを求められる、義務教育の期間。少しでもずれたことがあると、一気に攻めたてられてしまう。
成長が遅く、まわりの子供たちに置いていかれていた幼少期。
転校で味わった孤独感。
そういった、大人になってからは普段あまり気にしてこなかったことたちが、自分の深い場所で、人格形成に大きな影響を与えているのではないか、ということに最近気が付いた。
集団への帰属意識的なものが今のテーマで、自分がそれに対してどのように考えているかを、考えてみようと思っているのだけど、これがなかなか難しい。
身体はつかれているのに、脳みそがオーバーヒートして、全然眠れない日があった。目は、眠いよ、と訴える。だから横になる。でも、頭がずっと働き続ける。常に思考を進めていて、「ちょっと止まってよ」と投げかけてみるけれど、まるで暴走した機関車のように、頭の回転が止まることはない。
そして、最終的に、世の中に対する自分の無力さに絶望する。なぜ、わたしはここにいるんだろう。誰も助けることはできないんだろう。助けられなかった、あの時の気持ちが、もう、どうしようもなく自分の中を駆け巡る。
結局、他人のことなんて分からない。自分のことさえ分からないのに、他人を分かろうとするなんて、全く持って無理な話だ。自分が本音だと思って話していることだって、心の底の気づけない場所が発している本音ではなかったりする。もう、訳が分からない。
心理学を勉強したいと思った。同じように困っている人の助けに、少しでもなれたらいいと思った。でも、心理学を勉強するのが怖い。
人の心は見えない。自分の言動一つで、酷く傷つけたり、依存させてしまったり、人生を壊してしまうことだってある。
相手の気持ちになって考えてみることは大事だけど、そこに深入りしすぎて共倒れしてしまっては元も子もない。そのあたりのコントロールを自分ができるようになるのか、ただでさえ感受性が敏感な自分に、そういった仕事ができるのか、またただ勉強するだけだったとしても、しんどくなってしまうのではないかという気持ちがどうしても湧いてくる。今は、弱っている。弱いから、弱気になって、ネガティブになっているのかもしれないけど、分からない、本当のところが、さっぱり分からない。
友達に誘ってもらえることもあるけれど、体調によって、行ける時と行けない時があって、それを承知してもらってはいるのだけど、やっぱりキャンセルするときはなんだか申し訳ない気持ちになる。
楽しい気持ちをチャージすることは大切だけど、自分の残りのHPとMPを考えながら、調整する。
うつ抜けした友達が何人もいて、すごく励まされる。「今が最高に幸せ」と彼・彼女たちは言う。
だからわたしも、うつを治して、そっち側に行けるんだという、強い希望になっている。先を歩いてくれる友達の存在が、どんなに心強いか。私もそれを追いかけたい。早く治したい。焦ってもしょうがないけど、とにかく、元気になりたい。それを強く強く願っている。そう、わたしは元気になりたいのだ。