ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

「叶わなかった恋」という宝箱

ひょんなことがきっかけで、昔の恋について考えることになった。

昔の恋、すなわち叶わなかった恋。恋とはなにか、恋愛とはなにか、がさっぱり分かってなかったときにしていた恋でもあるのかもしれない。今でさえ良く分かってないけれど。

 

「叶わなかった恋」は美化されがちである。

叶わないなと、気づくなり思い知るなりした後でも、自分の中でどんどん美化されていって、気づいたら忘れ去られている。もう数年思い出すこともなかった人だっている。

それでも、昔恋をしていた人のことを思い出すと、その人に絡むいくつもの光景やその瞬間の感情をはっきりと鮮明に思い出すことができる。

もう少し掘り下げていけば、いっちょ前に10年以上昔のわたしと同じようにドキドキすることもあるのかもしれない、でも今、当時好きだった人に会ったところで、きっとドキドキしたりはしないんだろうなとも思う。少しだけ照れくさくなるかもしれないけれど。

 

人生に「もし」はないわけで、1秒前までの自分が、自分の辿ってきた全てであって、「もし」あのときに告白していたら、「もし」もう少しだけ好きな時間が長かったら、「もし」あの告白にOKしていたら、なんて考えるとキリがない。キリがないけど、そういったことを無意味に考えるのは面白かったりする。

偶然か必然か、今まで付き合ってきた人とは必ず遠距離恋愛になるという法則がわたしの中にあって、それでも今の人とは長く続いていて、そして日を追うごとに「好きだなぁ」という気持ちが大きくなっていっているのだから、こんなに嬉しいことはない。

 

それとこれとは別問題で、10年以上昔の恋について考えるのは楽しい。

卒業するときに書いてもらった寄せ書きの言葉とか、その時の会話とか、休み時間の何気ない会話とか、放課後の寄り道とか、メールアドレスをどうやって教えてもらおうかと考えていた夜寝る前の気持ちとか、教室で何気なく目で追ってしまうあの感じとか、やっぱりまだ覚えていて、それはわたしの学生生活の中の記憶の多くを占めている。

他の人が書いてくれた寄せ書きのメッセージなんてほとんど覚えてないのに、やっぱり当時好きだった人から書いてもらったメッセージの内容だけは覚えているのだ。

 

もう少し歯車が変わっていたら、当時叶わなかった恋が叶っていたかもしれなくて、でもそれを確かめる術はもうなかったりするし、確かめようとも思わない。

そっとわたしの中の宝箱にしまっておくからこそ、価値のある「恋」だったんじゃないかとも思っている。

 

なにがいいたいのか分からなくなってきたけど、昔のことを考えると照れくさくなりますね。

どうしても文章に残しておきたかったので、書きました。おわりです。