【ネタバレ注意】「竜とそばかすの姫」感想&考察【物語重視】
「竜とそばかすの姫」を見てきた。すごい映画だった。脳内がオーバーヒートしそうなので、とりあえず感想や考察を書いていくことにする。
以下盛大なネタバレとなるので要注意。これから映画を見る予定のある人は、映画を見てから読んでください。
他の映画と同じように、前情報を一切入れずに見に行った。
主人公は高知県に住む女子高生。仮想空間Uと現実世界を行き来しながら、成長していく。そんな物語なのかなと、最初の数分を見ながら想像していた。予想通りっちゃ予想通りだったのだが、トラウマや児童虐待も扱われていた。正義を振りかざした者によるネットの炎上、知らない子供を助けるために川に入った自分の母親を目の前で亡くすトラウマ、ネットにおける母親の死に対する炎上、そのトラウマが関係しているのか母親と楽しく歌っていた歌を歌えなくなっている主人公(歌おうとして嘔吐する場面が印象的)、コミュニケーションが希薄となった父親とのすれ違い、ネットで大暴れしているプレイヤーが実は児童虐待の被害者であるなど、気づかないかもしれないけど、現実社会の自分のすぐそばで起こっている可能性のある出来事が多く描かれていた。
現実世界のリュウを助けるために夜行バスに乗っているシーンが特に印象的だった。ほとんどコミュニケーションを取っていない父親に「突然でごめんなさい、少し遠くに行ってきます」と連絡をする。父親は合唱団の人から連絡をもらっていたこともあり、すんなりと了承する。
「困っている人を助けたいと思えるような、やさしい子に育ってくれたね、お母さんが育てた子だね」と父親は(スマホのテキスト越しで)声をかける。突然東京へ向かった高校生の娘を送り出せる父親、そしてその気持ちはきちんと鈴に伝わっている。
「夕食もいらない」「車で送らなくていい」とコミュニケーションが断絶されていた親子が、対話を再開させるきっかけにもなっている。鈴が東京から高知の最寄り駅に帰ってきたときに一番に待っているのは父親だった。「夜ご飯は食べる?」「食べる」「(かつおの)たたきにしよう」この会話を聞くだけで親子の相互作用が変化したことがわかる。
歌えなくなっていた鈴を救ったのは、仮想世界のUだった。
現実世界では歌えない。おそらく母親を亡くしたショックが、歌に投影されているのだろう。
カラオケに無理やり連れていかれ「鈴も歌って」と周囲からマイクを押し付けられる。逃げ出して、近所の沈下橋にやってくる。雪が降る中、歌ってみる。その瞬間、吐き気に襲われ川に向かって嘔吐する。涙を流しながら、苦しんでいる様子が描かれている。
他にも、合唱の練習時にみんなの輪から外れているシーンや、地域の合唱団の練習で楽器の下に隠れているシーンが描かれている。地域の合唱団の仲間(みなかなり年上、母親の友人たち?)は鈴の持つ歌へのトラウマを理解した上で、同じ空間を共有している。「一緒に歌おうよ」とは言うけれど、楽器の下に隠れている鈴を無理やり引っ張り出してくることはなかった。鈴も彼女たちとの関係を断絶していない。歌は辛いはずなのに。
合唱団の仲間は、鈴にとってのサードプレイスとなっていたのではないかと思う。学校でも家庭でもない、第三の居場所。自分とは異なる世代との交流。合唱団の仲間はUの鈴の正体も知っていて、でもそれを鈴には悟られないように振舞っていた。そして、本当のピンチの時には力を貸してくれる。サードプレイスとしての絶妙な役割を果たしていたと思う。
自分にとってトラウマとなっている出来事との直面化はしんどい作業となる。
仮想世界Uの中に入った鈴は歌を歌った。それも、かなり上手に歌った。そしてたくさんの人の耳に入った結果、人々を魅了し、バズる。
なぜ鈴はUの世界では歌えたのか。現実世界ではできないことが仮想世界でできるようになることもある。現実世界と仮想世界は別の世界だ。
たとえば場面緘黙症の子どもは、学校の教室では話せなくても、習い事や家など別の場所では話せたりする事例もあると聞く。自分も、学校の教室と、職場と、家と、習い事と、インターネットと、見せる顔は異なる。周りの環境も、世界観も、人間関係も異なる。
高知県の場合、地域と自分の暮らしが一体化している可能性が高いと推察される。そんな現実世界とは切り離された仮想世界。仮想世界では、歌える。新しい自分。環境を変えると才能が開花されたり、急に適応できたりすることは現実世界でもある。
仮想世界で歌えた鈴は、現実世界でも歌えるようになっていく。場面緘黙症の子どもがお話の練習をして、教室で少しずつ話せるようになっていく過程に似ていると感じた。
最終的に仮想世界で現実世界の顔を出して歌うシーンは圧巻だった。彼女の背中を押したのはリュウを救いたいという想い。鈴の母親が知らない子供を助けるために増水した川に入っていったとき、鈴は「どうして知らない子どものために助けに行くの?ママは鈴のお母さんでしょ!!」と止めていた。母親が亡くなった後も「なぜ自分の子どもではない、知らない他人の子どもを助けるために母親は死んでしまったのか」「母親は自分(鈴)のことを見捨てたのか」とずっと苦しみ続ける。母親が増水した川に入るという行為に対して、全く理解ができなかったのだろう。(自分も鈴の立場だったらそう思うと思う)
そんな中、仮想世界でしか交流のなかったリュウの現実の正体を知る。リュウは父親から虐待を受けている子どもだった。その様子がネットで配信されており、鈴はリュウを「助けたい」と思う。リュウを助けるためには、現実世界の居場所の情報が必要だった。でも、見知らぬ人に自分の個人情報なんて渡さない。信頼だってしない。リュウは過去に何度も「助ける」と周りの大人から言われ、裏切られ続けてきた過去を持っていた。
「助ける助ける!」「大人はみんな言う」「助ける助ける助ける!!」「お父さんは分かってくれましたよ」「助ける助ける助ける助ける助ける!!!」
なにが?どこが?だれも助けてくれないじゃん。ずっと虐待を受けて、今でも受けている。
大事な弟を必死に守りながら、父親に暴力を振るわれるときに言っていた「悪いのは僕だからっ」「悪いのは全部僕」「弟は悪くないよ(と言いながら父親の暴言が聞こえないように弟の耳を防ぐ)」というシーンは見て聞いていて本当につらかった。悪いのは僕、悪いのは自分、という思考はよく分かる。うつだった時の自分とリンクした。苦しいときはそのようにしか考えられなくなる。
何度か周りの大人による介入があったのだろう。児相か、警察か、学校か。でも、そのたびに父親と周りの大人は話し、丸め込まれ、結局元通りだ。外面はうまくやるような父親に見えた。毎回「助けてもらえるかも」と期待し、裏切られる繰り返し。そんなの、周りの誰も信頼できなくなるだろう。Uの世界でひたすら破壊行為をしていたリュウ、ベルが近づいた時に「来るな!」「これ以上近づいたら攻撃するぞ」という言動をとったことにも納得できる。
鈴はリュウを助けたいと思う。忍(鈴の幼馴染)が「それならUで顔出しして歌って、信頼を得るしかないな」という。弘香(鈴の友人、Uの世界に鈴を誘った人)は鈴を止める。仮想世界で現実の正体を明かすことがどんなリスクにつながるのか、どんなに危険かを一番理解しているだろう弘香。それでも、弘香の静止を振り切ってでも、危険だとわかっていても、鈴は仮想世界で現実の顔を出して歌うことを選んだ。リュウを「救いたかった」から。
「リュウだって知らない人だよ?所詮他人だよ?他人のためにそんなリスクを冒すの?」という弘香の主張を押し切り、鈴は顔を出して歌う。他人のために自分を犠牲にする、犠牲にするというか、自分の身に起こるであろうあれこれよりも今目の前の人の命を助けたい、という気持ちが先行したのだろう。きっとこの瞬間、川に飛び込んだ母親の気持ちを鈴は理解した。そして、鈴は歌う。リュウも鈴を信頼し、助けて!と鈴に訴える。しかし、父親にばれてしまい、ネットを切断されてしまう。弘香、瑠果、慎次郎の推理でなんとか居場所を特定し、鈴は高知を飛び出して、東京へひとりで向かう。
東京の住宅地で、リュウの兄弟(兄:恵、弟:知)に会う。「来てくれたんだね!」と言われ、鈴は二人を抱きしめる。父親が兄弟を探しにやってきて、3人は引きはがされそうになる。鈴が二人を助けるかのように、父親と兄弟の間に立ち、父親を強い瞳で見つめる。父親は鈴を殴ろうとするが、根負けし、腰を抜かして逃げていく。
鈴が東京にやってきて、できたことは「たったそれだけ」だ。兄弟を父親から逃がしてあげることも、児相などの機関に繋げることも、現実的な虐待の解決につながることはなにもしなかった。しなかったし、できなかった。これが現実である。
でも、高知から東京へやってきて、ふたりを抱きしめた。恵は「ありがとう、ベル(鈴)大好き、自分ももっと強くなるよ(意訳)」と最後に言う。きっと恵は、この先父親に対抗するようになるだろう。14歳ともなれば、身体が大きくなってくるし、父親に対抗する力も出てくる(めっちゃ細かったけど)。学習性無力感が生じ、暴力を受けるままになっていた兄弟は、ベルから勇気をもらったのだ。鈴の自己満足のための行動と言ったらそうかもしれない。でも、きっと東京に行って恵と知に会うという過程は鈴が成長するためには必要だったのだろう。
この映画では、虐待がどうなったのか、兄弟のその後については描かれていない。連絡先を交換して定期的に連絡をしない限り、鈴が知ることもないだろう(虐待を受けている状態ならなおさらである)(スマホなどを没収される可能性もある)。
鈴の心の中に恵と知の存在がいつまで残るのかも分からない。それがとても生々しいと思った。納得しない、腑に落ちない感想を抱く人も多いだろうけど、とてもリアルだ。
児童虐待を見つけたとして、その後どうなるのかについて知る機会はあまりない。数冊本を読んで学んだことはあるが、そこで見えてくるのはあまりに難しすぎる課題であるということだ。児相の人材が足りない、通報の数に対してマンパワーが足りていない。児相の中の職員もギリギリの中で戦っている。休みの日にも携帯に連絡が来たら保護に向かわなければならないし、帰宅は毎日24時前後であることも多いと読んだ。職員1人が100ケース以上持っているなんてこともザラにあるそうだ。
ただでさえ難しい案件が集まっているのに、あまりに過酷な職場であるため、離脱する職員も出てきてしまう。ここ数年は人を増やす動きがあるが、新人(社会人1~3年目)が配属され、2~3年経ったらローテーションで他の職場に行ってしまう。専門的な知識や技術、経験が必要とされる仕事だけに、人材の育成は重要であるが、現場がちっとも追い付いていないとのことだった。
合唱団の人が、児相に通報して「今すぐ保護してください」と言ったシーンがあった。「48時間以内に動きます」という返事しかもらえなかった。きっと電話の向こうの人だって、すぐに動いて保護に向かいたいだろう、でも、48時間以内と答えるのが精いっぱいなのだ。それくらい、現実は残酷だ。もしあのとき警察に通報していたらどうなっていたのだろうか。素人なので想像することしかできないけど、恵と知が安全な場所で暮らすためには課題があまりにも多いように思う。
鈴の保護者のような役目をしていた幼馴染の忍が最後に「これでやっとちゃんと(対等に)付き合えるね」と言った。鈴はもう保護してもらう立場ではない、今回の一件を通して成長し、大人になった。忍はずいぶんと前から、もしかしたら6歳の頃、鈴を慰めたときから、鈴と対等に付き合いたかったのかもしれない。でも忍の中で鈴は守る対象で、高校生になった時もそれは変わっていなかった。忍が知らないうちに鈴は成長し、この物語を通して忍の言う「対等」となったのだろう。守れらる対象ではなくなった。
他にも、ネットでの炎上、身バレへの恐怖を逆手に取った正義の集団など考えさせられることは多くあった。
リュウの城が正義の集団によって燃やされるシーンは見事にネットの炎上そのものを表していると思ったし、身バレへの恐怖をチラつかせて利害関係者を脅したりする手法は頻繁にネットの裏側で行われていることだと思った。自分では正義だと思って、悪者を作り攻撃したり晒したりしている人がこの世界にどれだけ多いことか。過激な言動は目立つ。ジャスティン(自警集団のリーダー)は見事なほど象徴されていたように思う。ジャスティンが現実世界でどんな人間で、どんな振る舞いをしているのか、ちょっと知りたいと思った。
ペギースー(Uの世界でのカリスマ歌姫)はベルの正体を見たとき「なんだ、わたしと同じただの高校生じゃん…」とつぶやく。ネットの世界で目立っていても、裏側にいるのはリアルな人間、普通の人間である。ネットを使っていると、しばしば忘れてしまう。今まで声だけしか聴いていなかった配信者や動画投稿者が急に顔出しした時の心情に似ていると思った。急に顔を知ってしまったときの、ドキドキと、少しのショック。顔が見えないネットの世界だと自分の都合のいいように解釈して神格化しやすいこともあるように思う。ネットの世界の向こう側には必ずリアルな人間がいることを再確認させられた。
個人的に、瑠果と慎次郎(カミシン)の駅でのシーンが好きだった。瑠果が真っ赤になって顔を手で覆ってフリーズ、慎次郎もびっくりして挙動不審になってるところは何度でも見返したい。あのシーンはものすごく長く感じた。ドキドキしたからかな。瑠果かわいい。
弘香のひねくれた感じもちょっとリアルでよかった。瑠果(かわいくて性格もいい完璧人間?)に対する皮肉や毒舌。あと、ベルがバズる過程でベルの数倍興奮してるところとか。あと、自分の母親の話を鈴の前でした後に「やばっ」って顔をして、すぐに謝る所とか。鈴に対して「どうせできないんだから」「人前で歌えるわけないじゃん!」みたいに下げる言動も多かったけど、それも含めて不完全でリアルな高校生って感じ。
リュウの正体がわかる前のリュウの言動についてもっと考察したいので、もう一度見に行こうかなと思っている。リュウの痣の理由が分かった瞬間、胸が捩るほど苦しくなった。
音楽もよかったな、最初のUに入っていくシーンは興奮した。クジラをみてOZを思い出した。
インターネットとの付き合い方を考えさせられる映画だった。
1度しか見てないので、シーンの詳細や言動など間違っている箇所もあるかもしれないが、大目に見てほしい。ついでに間違っているところがあったら教えてもらえると助かります。
めっちゃ長文ですが(到達した人いるか分かりませんが)、ここまで読んでくれてありがとうございました。