手紙を書く
ちょっと大きな変化があった。変化があると別れがある。別れたら、誰かと出会う。
変化に伴って、お世話になった人に挨拶をする必要が出てきた。直接会えれば、口頭で挨拶すればいいのだけれど、残念ながらコロナ禍のせいで、それは無理。ならば、対面以外の方法で。LINE、メール、手紙で、挨拶をすることにした。
ひとりひとりを想いながら世話になったお礼を書いていく。すぱっと人間関係を切ってしまうのであれば、短文で済ませたり、究極は連絡せずにそっと去る、ということでもいいのであろう。
たが、今回の変化に関わる人間関係からは、得たものがあまりにも多かった。きちんとお礼をしたくて、文章を書くことにした。
コピペでもいいのかもしれない、こちらから文章をしたためる事は、ただの自己満足なのかもしれない。とはいえ、きちんと気持ちを伝えたい人に対しては、気持ちを込めて文章を書いた。
下書きを書いて推敲し、手書きで便箋に気持ちを載せる。特に世話になった度合いが大きい人に対しては、何度も何度も推敲を重ねた。
読み返すたびに、この表現は失礼かな、もっと言えることあるんじゃないかな、と数年前の記憶を引っ張り出しながら考える。
気持ちを込めた文章を書くという行為には、時間がかかる。内容が濃くなるだけ、人数が増えるだけ、時間がかかる。
在宅で過ごす時間が増えてから、日々のメールのやり取りにもかなり膨大な時間とエネルギーが必要だったと感じるようになった。
出社していたころは、メールにかける時間はあまり意識していなかったのに。なんでだろう。
在宅の方が、時間の使い方に厳しくなったような気がする。この作業、無駄じゃない?1時間もかける価値ある?なんて思ったり。そう考えると、職場では惰性でやっていた仕事も多かったのかもしれない。
あと少しで、すべての整理が終わる。整理が終わったら、新しい長編のエッセイを書こうと思っている。
これは私のストーリー。このブログも、私のストーリーの一部。
一日に書ける文章量には限界があることに気が付いた。内容にもよるけど、5000文字とか書くとかなり消耗する。