ずぼら女子奮闘記

ずぼら女子がリアルでは言えないことを吐き出すブログ。

サードプレイスとしてのインターネット

はじめて「インターネット」の世界に触れたのは、高校受験が終わった中学3年生の春休みだった。高校入学までの暇を持て余した私は、同級生とゲーム三昧な春休みを過ごしていた。毎日誰かの家に集まって、ゲームをする。小学校から持ち上がりで地元の中学に進学する人が多かった私の地元。長年連れ添った友人関係が一度解散し、高校という新しいコミュニティに突入する前の寂しさを感じていたのかもしれない。毎日、WiiスマブラやNew ス―パマリオブラザーズをやっていた。

 

そんな中、いつもつるんでいた仲間の一人がチャットルームを立ち上げた。当時携帯電話を所有していた同級生は半数程度。自宅のパソコンでメールのやり取りをしていた友人も多かった。もちろんLINEなんてない時代。

家族が寝静まった23時頃、そっと自宅のリビングにあるパソコンを立ち上げる。教えてもらったチャットルームに入ると、いつもの友人たちがログインしていた。ハンドルネームを入れて、テキストを入力すると、すぐに返事が返ってくる。ただそれだけのチャットルームだった。閲覧できるログは999件まで。夜更かしの背徳感と、家族にばれないかどうかのスリル、深夜テンションでたまに誰かが恋バナをする。その場にいない人にログが見られないように、話が終わったら弾幕でログを消去した。使うのはテキストと顔文字のみ。絵文字もスタンプもないシンプルな世界。

「ログインしました」と片思い中の彼のハンドルネームが表示されるたびに、鼓動が早くなった。

新しい高校生活に入るまでの約2週間、そのチャットルームで夜を過ごした。

 

高校へ進学すると、部活や勉強で忙しい日々が続いた。チャットルームへのログイン頻度はガクッと下がり、そのうち存在も忘れていった。たまに思い出してログインしても、当然のように誰もいなかった。

 

mixiが流行っていた。ガラケーを所有していたけれど、「あくまで連絡用」と用途を制限されていた私は、ガラケーからインターネットへの接続はできなかった。

Twitterに手を出すのは早い方だったと思う。音楽を聴くために誕生日に買ってもらったipod touchが、私とインターネットを繋ぐ道具となった。自宅のWi-Fiに接続して、ベッドの中でこそこそとTwittermixiをやっていた。Twitterはアカウントを持っている同級生が少なくて、本当に限られた友人とだけ繋がる場所だった。

 

大学生になり、ガラケースマホに進化した。iPhoneを手に入れた私は親の監視から離れ、自由にインターネットを使えるようになった。高校を卒業するタイミングでLINEをはじめた。メール文化から一気にLINE文化へ移行する過渡期だったと思う。LINEに初めて触れたとき「あの時のチャットルームだ」と思った。同時に複数名でやりとりができるチャット。返信の簡単さや速さが便利だった。誰とでも気軽にグループラインを作ってしまえば、手元のスマホ一台で手軽にやりとりができる。最初に感動した便利さにはあっという間に慣れてしまった。今はもう、LINEなしで生活できない身体になってしまっている。

 

就活も終わり暇を持て余した大学4年生、ふと思い立ってはてなブログをはじめた。時間だけは無限にあった。

適当に文章を書いてブログを更新していたら、読んでくれる人が現れた。スターをつけてくれたり、コメントをくれたり、読者登録してくれる人がいた。顔の知らない人とインターネット上の交流を始めたのは、はてなブログが初めてだった。

ブログの中では「すだち」という別人格が自由に振舞う。軽やかな足取りで歩くように、文章を書いた。「すだち」になってキーボードを叩いてる瞬間は、自由だった。現実世界で昇華できない感情を、インターネットの中に放出した。

 

読書以外で、他の人の書いている文章に触れるようになった。インターネットの世界にはなんて面白い文章を書く人がたくさんいるんだろう!考え方も背景も人生経験も全く異なる人たちが書いている文章に私は魅了された。

 

社会人になり、ブログの更新頻度はガクッと低下した。それでも、休日にカフェへ行き文章を書いたり、通勤時間にブログを読んだりしていた。しんどい時には、たくさんの人から優しい言葉をかけてもらった。リアルでは吐き出せない感情を、インターネットの世界に放出していた。

 

インターネットでしか交流したことのない人とリアルで会ったりもした。これは、人見知りな自分にとってはすごく勇気が必要なことだった。

 

インターネットの世界は、わたしにとってのサードプレイスだ。家庭でも職場でもない、第三の居場所。戻りたいときに戻ってきて、居たいときには居たいだけ居座る。しばらくここはいいかな、と思ったらふらりと別の場所へ行く。

卒業して離れ離れになった同級生たちと繋がるSNS。遠くに住んでいても近くに感じることができる。物理的に会うことのできない友人と話せるSNSは、卒業後もわたしのサードプレイスとしてメンタルヘルスの維持に大いに役立っている。

距離を取りたいと思ったら、SNSを開かなければいい、インターネットから離れればいい。単純な話だ。

 

自分の意志で近づいたり、離れたりできるインターネットの世界。これからも私のサードプレイスとして、私の隣に存在し続けるだろう。

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」